2013年6月21日金曜日

凄い脳


オーストラリア日本と忙しなく過ごしたここ数週間。

異なる場所で、様々な人に会い、色んなことを話して聞いてと、移動に伴う変化の中で時間を過ごしていると、脳内に入ってくる刺激に比例していろんなことを考えることになる。それと同じくらい自分が出来てないことを知らされ傷つき、もっとやらないとと思わされることになる。

そんな変化の中にいると、毎日同じリズムを繰り返す、安定した日常がいいと思う。

そうして戻る日常で、同じ時間に起床して、同じものを食べて、同じ道を自転車で走って出勤し、同じ忙しさの中で流れるように過ぎている時間を見ていると、また変化が懐かしく思うものである。

そう思うと、人は無いものねだりの馬鹿な生き物だと思わずにいられない。


変化と日常の中で、様々なことを感じ、考える。

それらの思考を出来るだけ身体の外に置いておこうと、言葉に変換してブログやスケッチやらと形を変えてみるが、全てを顕在化していたらもう一つの人生が必要になってしまう。

どれだけネットであるプロジェクトの記事を見て理解したつもりになっていても、その場所に行かないと分からない建築の空間同様に、様々な条件の中、困難を抱えながらもチャレンジ精神を忘れずに、新しいものを作り出していった建築家本人の言葉で語られう作品を見て、そして何よりその建築家と同じ時間を過ごして人となりを知ること。それに勝るメディアは無いんだと理解する。

その濃密な時間から得られる情報はとても言葉にして現すことができない。経験などとあやふやな言葉に置き換えられるが、その時に感じた気持ちや、浮かんだ考え、そしてそんな刺激的な時間を得て自分の中で芽生える変化。それらをどうやっても言葉には置き換えられないが、頭の中ではもやもやしながらも比較的少ない時間で処理してくれる脳。

その能力は本当に驚かされる。

例えば、ぼーっと何も考えていないような顔をして道に座っている人でも、頭の中では物凄い量を思考し、物凄い濃密な時間を過ごしているかもしれない。

何も言葉を発せずに、フラフラと街を漂っている若者も、実はその脳内で、「人生とは何か?」、「生きる意味とは何か?」、「建築のあるべき未来とはなにか?」などと、物凄い勢いで考えているかもしれない。

ぼーっとしているような顔をして、実は物凄い経験を頭の中でしてしるのかもしれない。

外からは何も変わってないように見えて、その実内面では大きな変化、幾つも歳を取るよりもよっぽど意味のある成長をしたのかもしれない。

人類の起源に対して深い思考を巡らせたり、
複雑な量子力学を解いてみたり、
宇宙の始まりをシュミレーションしてみたり、
新しいビジネスモデルがどう成長するか考えを巡らせたり、
自我とは、社会とはと永遠の問いを投げかけたり、

それらの思考を終えるみると、今までの自分とはまったく違ってしまうだろう。

そして、外からその変化は決して見えない。

それを可能にする恐るべき脳の活動。

そんなことを考えながら、帰り道の胡同の道端に座っているおばさん達も、ひょっとしたら頭の中に無限の宇宙を抱えているのかと想像を膨らませながら、人間の神秘を感じて自転車を飛ばすことにする。

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