日本全国に数多散らばる神社といえども、これほどの体験が出来る場所はそう多くは無いはずである。そう思わせるほど何が凄いかといえば、その参道。これだけの直線としての参道を、起伏に飛んだ山の中で発見したこと。その着目点。それに感服する。
そしてその参道の扱い方の変化。山道が歩いていくにつれて徐々にその意味を変える。最初は両サイドに水が流れ、石で切られた縁のはっきりした直線で描かれる道。上部の葉でフィルターをかけられた降り注ぐ散らばるような光の中を進んでいく。
その水が徐々に存在を薄くして、両サイドは木々に覆われるようになる。そして山門の随神門(ずいしんもん)に近づくころには、サイドは17世紀に植えられたという杉並木へと変化する。しかしただの杉並木ではなく、その一本一本が十分どこかの神社の神木として扱われて良いような巨木。
随神門を潜ると、杉並木の幅も狭くなり、かつ一本一本の杉の間隔も狭くなる。こうなると杉並木というよりは、既に杉の壁のような圧倒感。ねじるように上昇する杉の肌を感じるために、片手を杉に触れながらひたすら直線の参道を前に進む。
杉並木が終わり、今度は地形にそったように、左右に振れる石階段が現れる。狭められた道が今度は上昇の力を現す。計2キロといわれる参道の最後に来てこの急な階段は相当応えるが、明らかに「奥」に近づいていると感じられる雰囲気に最後の気力を振り絞り先を進む。
えっちらおっちらとその石階段を上っていくと、その先に見える鳥居と狛犬の姿にやっとたどり着いたとホッとする。神社においては、本殿にたどり着くのが重要なのではなく、一人、自分に向き合いながら様々なことを考え、自問して過ごすその参道の体験がすべてだと言わんばかりのその構成。それを物語るかのように2キロの行程を経て辿りついた本殿はなんともそっけない表情。
最後のところで挨拶を交わした高齢参拝者の三人組に、「若い人は早いねー。あんなに離れていたのにもう追いつかれちゃった」なんていう会話を交わすように、参拝というよりもほとんど山登りに近い言葉。参道が2キロということは、ここから折り返すのもまた2キロで、この炎天下に計4キロの山道の散策はとなると、必然的に主題もまたこの道で過ごす時間となるのだろう。
さて、その戸隠神社。通常は長野方面から上がってきて、戸隠山の麓に下から、宝光社・火之御子社・中社・九頭龍社・奥社と鎮座する計五社を合わせて戸隠神社とよばれるという。説はいろいろとあるが、創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社だという。
伝説では、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神・天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされ、現在の奥社、中社、宝光社の3院は天台系であるという。
兎にも角にも何百年に渡って修験者から一般参拝者まで多くの人が足しげく通ったこの参道。それが納得できるなんとも神域を感じるすがすがしい空間である。
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所在地 長野県長野市戸隠
主祭神 天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)
社格 国幣小社
創建 849
機能 寺社
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