1971年に、直江津市と合併して上越市となるまではここは高田市と呼ばれていた。当時の高田市の人口は75000人ほど。その小さな町の中心にはかつてはこの高田城が鎮座し、現在ではそれが高田公園として本丸跡は付属中学校と使われ、市民の心の中心地として良質なこの地の風景を作っていたのだろうと想像する。
徳川家康の六男、松平忠輝の居城として天下普請によって造られた高田城。その工事の総監督は忠輝の舅であった伊達政宗となかなかメジャーな名前が出てくるその成り立ち。関が原の闘い以後の徳川家の世の中で行われた普請。その時代背景を感じさせるようなおおらかな配置計画。
それがそのまま活かされているようなのんびりした風景。上では鷹が気持ち良さそうに両翼を伸ばし、下ではランドセルを背負った少女が砂利を踏みしめながら家路を急ぐ。
そんな風景が、高田市の中心から上越市の一部へと意味を変えられ、さらに平成の大合併によって、数字と効率だけを追い求める市町村合併によって場所の持つアイデンティティーが失われてしまっていないのかが気になる。それほどまでにこの地で幼少期を過ごすことの豊かさを感じさせるような街の風景である。
--------------------------------------------------------
所在地 新潟県上越市本城町6−1
城郭構造 輪郭式平城
別名 鮫ヶ城
築城 1614
機能 城郭
--------------------------------------------------------
0 件のコメント:
コメントを投稿