不条理を成立させるためには、規律としての直線が必要だと改めて教えてくれるような建築。
今回の旅のメインの目的地の一つであり、2011年までの2年間閉まってしまっていた美術館だが、市民の要望を聞き入れた市の助成によって、昨年より再度第3セクターとして再会したという村野藤吾設計の美術館。
彫刻家・澤田政廣のパトロンであり作品の収集家でもあった、糸魚川市を拠点に活動する建設会社・谷村建設社長の谷村繁雄が、その収集作品を展示するための美術館計画。それを澤田政廣が芸術院会員仲間として知り合った建築家村野藤吾に依頼をする。
設計当時、村野藤吾は92歳。翌年93歳でこの世を去るのだが、美術館に置いてあるスケッチや現場写真では、白髪の村野藤吾が精力的に模型を覗き込み、光の入り方をチェックする姿が残されている。人生の灯火が消える最後の最後まで一建築家として存在しようとしたその魂を感じる。
シルクロードの砂漠の遺跡を想定し、館内は石窟風にされているというが、外部も内部も端部が落とされ、直線的な陰と光の面を表現せず、全体に曖昧な光が回り、建築の全体像をぼやかす。床と壁の境目も曲面でつながれて、当たり前の様に同じ素材で覆われる。床・壁・天井という近代建築が分断した建築の要素化に対しての異議申し立ての様にも見える、根源的な空間への挑戦。
幾何学と不条理の幸せなる共存を見せられると、曲線の正しい使い方を改めて教えられる。我々がモノを見ることができるのは、そのものが光を受けて反射するからであるという原理原則から、如何にその光の反射をコントロールできるか、如何に柔らかく光を回り込ませられるか。その為に表面の処理はあくまでも荒く仕上げられ必要がある。場所が違い、太陽光の質が違った場でも同じようにルイス・バラガンが住宅の壁に用いた仕上げの様に。
その洞窟的な空間性の為に、ガウディがよく引き出されるようであるが、やはり幾何学の中に挿入された不整形が生み出す不思議な空間の魅力を目の前にすると、やはり出てくるのはまたしてもコルビュジェ。何処まで行ってもまた向き合うことになるこの名前に、やはり彼が辿りついた地平は遥か先立ったと思わずにいられない。
この美術館に併設される玉翠園は、オーナーである谷村繁雄氏が作った観賞式庭園。「サツキが一番綺麗な季節ですので、ぜひゆっくり見ていってください」と丁寧な係員さんが説明してくれて、入り口に飾られる大きな石をどうやって切り出してきたか、鮮やかな色の赤い葉をつけるのは紅葉の一種である「野村紅葉」で赤も微妙に変化するとか、いろはもみじやなんやらともみじの品種は200以上にもなるなどと、懇切丁寧に教えてくれる。
図面や、各展示室への光の入り方のスタディ模型、工事現場の写真まで見せていただけ、小さいながらも関係者の情熱が感じられるとても良い一作。
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