昨年の秋から行っていたモスクワでの都市計画のコンペのプレゼンに参加するために、北京からロシアに向かう。ともにプレゼンに参加する協力会社のランドスケープ・事務所のオーストラリア人建築家と同じ便でモスクワ空港に到着する。
このコンペの為に、昨年の秋から意識的に意識と身体をできるだけロシア文化に触れさせるようにと務めてきた。その集大成となる今回の出張。
アエロフロート便だけに着陸した際に客席から拍手が沸き起こるのを見て、そういえば、学生時代にヨーロッパの建築が見たくて言った旅行で使ったのもアエロフロートのモスクワ経由便だったのを思い出し、過ぎた時間に思いを馳せる。
さんざんビビらされていたのに比べると、拍子抜けするほど寒くはなく、クライアントが手配してくれていた運転手と合流して街の北に位置する空港から市内のホテルへと向かう。
世界で一番交通渋滞がひどい街の常連であるモスクワ。それを実感するほどに、空港から少し走ったところですでに渋滞に。片側5車線はあろうかという高速のような道にも関わらず、ホテルに到着するまでにたっぷりと1時間半かかってしまう。恐らく渋滞がなければ、30分ほどで到着できる距離であろう。
やっと到着したホテル。明日のプレゼンに向けて最後のリハーサルではないが、詰めをするために、ランドスケープアーキテクトと一緒に食事に出て、パソコンを広げてどちらがどこを説明するかを確認していく。
そのレストランでも、メニューはすべてロシア語。スペイン語やイタリア語のように、少しは推測できる要素があればいいのだが、韓国語と一緒で全くのヒントなしのロシア語に完全にお手上げげ、メニューの写真を頼りに注文することに。
このあたりで徐々に理解し始めるのだが、さすがにちょっと前まではバリバリに冷戦と言えども戦争状態にあったロシアとアメリカ。それほどの大国であり、またその敵国語を街に入れるほど甘くもないロシア。そのお蔭か街中で話しかけるロシア人もほとんど英語を介さないし、街中の表記はほぼロシア語のみ。なんとも潔い。しかし観光客にとっては歩き回るのにも、食事をするのにも大変難しいことになる。
さてこのモスクワ。ロシア語で表記するとМосква́となり、なんどか街中で見かけるのでしばらくするとこれがモスクワを意味することは何となく分かることになる。言わずと知れたロシアの首都で、人口は約1150万人とヨーロッパでもかなりの規模の都市と言える。
モスクワといえば、「クレムリン」。ハリウッドの映画でも何度も爆破されているロシアの政治の中心地。そのクレムリンの前に広がるのが「赤の広場」。この赤の広場に建つ特徴的な玉ねぎ型をした教会である聖ワシリイ大聖堂とクレムリンの中の教会の塔の姿が、モスクワのイメージを作っている。
歴史を見てみると、小さいころ学校で習った様な記憶があるイヴァン3世が1480年に独立させ、ウスペンスキー大聖堂やブラゴヴェシチェンスキー大聖堂やアルハンゲリスキー大聖堂を建設・再建し、クレムリンを整備し、同時にクレムリン前の赤の広場を建設する。つまり現代のモスクワのイメージはこのイヴァン3世時代に作られたということ。
イヴァン続きだが、続くイヴァン4世の1561年に聖ワシリイ大聖堂が建設され、さらにモスクワの文化的、宗教的意味が強まっていく。
そしてロマノフ朝時代はモスクワも成長を続けたが、ピョートル1世が1712年にロシア北西部にサンクトペテルブルクを建設したことで首都が移動する。しかし1755年にはロシア最初の大学であるモスクワ大学がこのモスクワに開校される。
時代へ経て、ソビエトによって1918年に再度首都機能がこのモスクワに移転され、ソビエト連邦と現在のロシア連邦の首都として現在に至る。
近代史において長きにわたり超大国の首都としてアメリカと張り合ってきたモスクワ。その代表例を挙げると、スターリンがニューヨークの近代高層ビルに対抗し作り上げたスターリン様式と呼ばれる権威的で、左右対称を主とし、中央に塔を構える様式である。その後共産主義に流れる国々の首都、ポーランドのワルシャワ、中国の北京、北朝鮮の平壌、モンゴルのウランバートルなどで多く採用された様式である。
そのスターリン様式の中でも極めて特徴的なのが、「スターリンゴシック」と呼ばれる重厚な高層建築。その代表的な7作品がこのモスクワに建設され、街を歩いていると、あちこちに背の高い同じような様式の建物がピョンピョンと頭を出していて、それが街の特徴的な風景と体験を作りだす。
そしてこのモスクワにある7つのスターリン・ゴシックの建物を「セブンシスターズ」と呼んでいる。
7人も姉妹がいれば、太っちょなのもいれば、ちょっと不細工なのもいる。しかし7人そろうことでなんとも愛らしい風景を作り出す。というように、街中を歩いていると、あっちにも、こっちにも、ピョンと頭を周りの建物よりも一段と高くもたげた塔が見えているその風景はなんとも楽しいものである。そしてどうもその配置がある関係性を持って作られているようである。
それもそのはずで、建築の世界ではよく知られたル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、エーリヒ・メンデルゾーンなどのモダニスト建築家達がこぞって参加した「ソビエト・パレス」のコンペティション。それは街の中心を流れるモスクワ川のほとりに建つ、救世主ハリストス大聖堂を解体し、その跡地にソビエト宮殿を建設し、それを中心にモスクワの新しい都市計画を成し遂げるという計画である。
ソビエト宮殿を中心にモスクワの街の各地に配置されたのが上記の「セブンシスターズ」。地図上にその配置と両翼と中心に塔という軸を表す形式なので、軸線の関係を示してみると、やはり中心部に向かって求心的な配置計画となっているのが見て取れる。
救世主ハリストス大聖堂は予定通り1931年に爆破解体され、ソビエト宮殿は一等を取った案をもとに計画が始まったが基礎だけの工事で終わってしまい完成することはなく、2000年に救世主ハリストス大聖堂の再建が完成したという。
ソビエトとロシアという巨大国家の首都の座にあったために、歴史都市でありながら、極めて計画的な都市計画と持って建設されたのが良くわかるこのモスクワ。中心にうねるように流れるモスクワ川。
その川のうねりがつくりだす「溜まり」にクレムリンを配置し、そこを中心に同心円状に都市が作られている。地図をズームアウトする度に見えてくる環状道路は少なくとも5本は走っているようであり、それと交差するように中心から放射状に主要な幹線道路が延びている形となっている。
首都というだけあって、20世紀までの主要交通網であった鉄道も各地からこのモスクワに繋がっており、計13の線路がモスクワから各地に延びる形となっている。その13本はモスクワの各方位に設置された9つのターミナル駅に吸い込まれる。
そして市内においては11の路線にもなる地下鉄が細かいネットワークを張り巡らしている。モスクワ地下鉄は世界でも最も利用客の多い地下鉄と言われており、同時にスターリン時代に建設された古い駅はそれぞれが違った豪華な装飾が施され、モスクワ観光の一つの目玉ともなっている。
オフィスで働くロシア人は、モスクワで大学に行っていたというので、モスクワでの建築の見どころとそれをうまく回るルートを教えてほしいと頼んでいたら、やはりこの地下鉄の駅は見逃すべきではないとどの駅を見るべきかを教えてくれる。そして同時に利用客があまりに多いので、ピーク時は避けて行くべきだと教えてくれる。
東京の地下鉄を経験していると、「そんなことはないだろう」と思っていたが、流石に東京の朝のラッシュのような押し込まれ、変な方向に体が曲がったまま次の駅まで辛抱するという様なことはないが、やはりかなりの利用客でエスカレーターにたどり着くまでにかなり並ばなければいけないという様子である。
そんなモスクワ。現在、クリミア問題でその当事国の首都としてかなり緊張感が街を支配して、外国人が外を歩き回るのは難しいのかと想像していたが、拍子抜けするほどリラックスした雰囲気であり、とてもそんな緊張感のある国際問題が発生している国とは思えない様子に少々驚いた。
まずはコンペのプレゼンを終わらせて、その結果を待つために一日延長した滞在時間でで、できるだけ貴重な建築体験をできるようにと期待を膨らませる。
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