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所在地 愛知県名古屋市熱田区高蔵町
主祭神 高倉下命 (たかくらじのみこと)
社格 式内社(名神大)、熱田神宮境外摂社
創建 不詳
様式 尾張造
別名 高座さま
機能 寺社
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白川庭園を出て、庭園の北側に広がる白川公園を堀川沿いに北に進む。すると川の先からボートの脇に「堀川の水質を回復せよ!」という垂れ幕を掲げたボートが進んでくる。改めて見て見ると、確かにかなりどす黒い川である。
橋を渡って入り込むのは緑に覆われるような熱田公園。この中には有名な熱田球場もあり、どうやら社会人野球の試合が行われているようである。公園の方にある球場では子供達の少年野球の試合が行われており、フェンス越しに覗いてみたらちょうど一人の子がホームランを打ってベースをかけてくる。
そういえば、小さなころはスタンドインというのが無いので、全部ランニング・ホームランになるんだなとなんだか納得しながらその様子を眺める。後ろでは、それを見ていて保護者が「○○さん、これは今日は焼肉ごちそうさんですね!」となんだか楽しそう。地元に残っていたら、こういう日常があってもおかしくなかったのかと改めて思わされる。
歩くこと更に30分。かなり疲れてきた頃に到着するのが高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)。漢字を見ただけではその読みが想像できないことからかなり由緒の古い神社だろうと想像する。
この神社、熱田神宮の祭神と同じく尾張の祖神であり、今では熱田神宮摂社とされている。織田信長が造営し、蜂須賀氏が修造したとされる尾張造の本殿があったが、戦災で焼失し、現在の社殿は1963年に造営されたという。
ちなみに尾張造(おわりづくり)とは、本殿(後)、祭文殿(中)、拝殿(前)を回廊で繋いだ左右対称の建築様式で、尾張地方独特の建築様式という。
そしてこの神社豊臣秀吉が幼少の頃、母に連れられて参拝したために「太閤出世稲荷」とも呼ばれているという。境内にある多くの案内でからも良く知れるように、「子育ての神」として信仰が篤く、境内末社の御井社(みいしゃ)で「高座の井戸のぞき」と呼ばれる井戸を除く習慣があり、子供に井戸をのぞかせると「疳(かん)の虫封じ」になると言われている。
境内はうっそうとした森の中にあり、境内奥にさらに木々に囲まれた場所があり、その奥にご神木が待ち受けている。そんな境内であるが、週末の夕方ということもあり、人の姿は見かけられない。一人でゆっくりと参拝し、信長と秀吉の姿に思いを馳せながら歩いて熱田神宮方面に向かうことにする。
たどり着く熱田神宮の駅前商店街はすっかりと寂れてしまった姿をさらし、それでも全国的に有名な熱田神社があるということは、街として消滅することは考えられず、そして年に何度か訪れる観光客のお陰で、生活を支えることができている商店主もいるのだろうと想像する。
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