2014年4月6日日曜日

赤の広場 Red Square イヴァン3世 1493 ★★★


夕食を取りながら明日のプレゼンの詰めを行って、「せっかくだからというのでモスクワ川を北に渡った赤の広場まで足を延ばしてみる」というと、ランドスケープ・アーキテクトも「一緒についていくよ」というので、かなり冷え込んできたモスクワの夕暮れの街を散歩にでることにする。

ホテルが位置するのはクレムリンからモスクワ川を渡ったすぐの場所。行こうと思っていた「トレチャコフ美術館」の脇を抜けながら、主要道路は片側6車線ほどで、とてもじゃないが横断も、向こう側の雰囲気も分かるようなヒューマン・スケールを持ち合わせていないモスクワの街のスケール。

キックオフ・ミーティングに行ってきたパートナーが「モスクワの後には北京のスケールが小さく見える」と言っていたのはこのことかと理解し、そのスケール感にビュンビュンとスピードを出して走っていく車の流れ。それに寒さも手伝い、なんとも寒々しい街だなと思っていたが、一歩街区の中に入ってみると、そこにはやはりヒューマン・スケールの歩きやすい道が走っているのを発見する。

とはいうものの、街の街区の割り時代はやはり巨大。地図を見ていてその街区の割り方から自然と頭がこれくらいの距離感と判断するのだが、それがことごとく外れている。1街区がとにかく巨大。そのため歩く距離も長くなる。

そのお蔭で思ったよりも披露しながらたどり着くモスクワ川。その橋の上から右手に見えるのがセブンシスターズの一つのタワー。逆を眺めるとクレムリンの後ろにも別のタワーがちらりと顔を見せる。この段階ではセブンシスターズの詳しい内容も、その配置も調べていないので、なんとも特徴的な「塔のある風景」を楽しみながらクレムリンを眺め、その東に位置する巨大な都市広場である赤の広場へと足を進める。

この赤の広場、長さは695m、平均道幅は130m、面積は7万3,000㎡という巨大な広場で、世界一の巨大さを誇る北京の天安門広場の南北880m・東西500mに勝るとも劣らない都市広場である。

「赤」というのはロシア語で「美しい」という意味もあり、「美しい広場」として広まった名称だという。南北に長い形をしたその広場の南の端には、玉ねぎ型の屋根がいくつもあるので特徴的な聖ワシリイ大聖堂(St. Basil's Cathedral)が立ち、逆に北側には赤い煉瓦の国立歴史博物館とヴァスクレセンスキー門が立ちともにアイ・キャッチとして機能する。

長い面を持つ東面には建築家・鈴木恂の『建築巡礼 光の街路』でも取り上げられているグム百貨店(GUM Department)が端正なファサードを見せてくれ、その向かいの西側にはクレムリンの城壁に沿いながら、レーニンの遺体が保存展示されているレーニン廟などが設置されている。

この広場は1493年にモスクワ大公国の統治者イヴァン3世が、自らの居城であるクレムリンの前の市街地を広場として整理させたのが起源とされるという。ロシア革命後のソ連の成立により、再度首都に返り咲いたこのモスクワでは、最高指導者がクレムリンに居住したためさらにこの赤の広場の重要性が増したという。

建築家としてはなんといっても「GUM」が見たく、建築の中に都市空間を呑み込んだと表現されるその内分アーケード空間を市民がどのように利用しているのか、ぜひとも夜の空間も見てみようと訪れる。

赤の広場でその配置の象徴性に圧倒されながらも、明るい光を投げかけるグム百貨店に吸い寄せられるように中に入り、立体交差路のようになって、心地の良い身体スケールを持っている内部空間を上に行ったりあっちに行ったりと歩き回る。

帰りは北側をぐるりと回り、思った以上に市民が散歩や憩いの場として利用しているなんともリラックスした雰囲気に、ロシアの首都・モスクワのイメージを大きく修正させながら、次第に明日のプレゼンへと意識を変えていくことにする。






































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