モスクワの中心地、赤の広場。ロシア正教会の歴史を表す教会建築や、クレムリンの城壁など厳かな雰囲気を醸し出す他の面と対照的に、何とも温かな光を広場に投げかけるのがこのグム百貨店(GUM)。
建築に携わるものとしたら、この赤の広場で一番体験してみたいものがこのグム。建築家・鈴木恂の著書「光の街路」でも紹介されるその百貨店は、モスクワという厳しい気候の元、なおかつ帝政ロシアの首都としての世界に誇る商業施設を作らなければいけないという使命を帯びて、巨大なスケールを併せ持つことで可能になった内部の巨大なアーケード空間。まさに建築内都市空間が実現している。
様々な条件がこの場所で重なり合うことで可能になった、非常に稀な建築空間。いつかその巨大でたくさんの光が注ぐアーケードを体験してみたいと、学生時代から思い描いていた場所である。
パリやロンドン、ミラノの都市内に張り巡らされたパッサージュ空間とは違い、建築の中に閉じ込められたガラスの天蓋。凍てつく冬を持ち合わせるモスクワだからこそ出現した空間だといってよいのだろう。
そのグム百貨店(GUM)。帝政ロシア時代の1893年に完成しており、すでに120年の歴史を持つことになる。中に入る店舗数は200以上となり、現在はロシア有数の高級百貨店として営業されている。ソビエト時代には国営化されたために、品切れを起こさない商店として国民から重宝されたという。
建物自体は200mを超える正面のファサード。そこに3つの入り口が取られ、内部に入ると、長手方向に延びるギャラリーに面して商店が並ぶ形になっている。内部には3列のギャラリーが並んでおり、そのギャラリーの上空にはガラスのアーケードがかけられている。ここから光が降り注ぎ、買い物客は思い思いのところに腰を掛けては、有名なGUMのアイスを味わっている。
ギャラリーの上空には2階、3階と徐々にセットバックし、それぞれはブリッジにて繋がれている。ブリッジ付近は床が緩くアーチを描いているためにフラットではなく、現代の百貨店にはない場所性を作り出してくれる。
このグムを設計したのが、1853年生まれのウラジーミル・シューホフ(Vladimir Shukhov)。今のように建築家や構造家として明確な区分がなかった時代で、技術者でもあり、構造家でもあり、建築家でもあったシューホフは鉄線を格子状に組んで双曲面構造の外観をもつ塔も作り出した逸材である。
同年代に活躍したフランスのギュスターヴ・エッフェル同様、やはり技術者として鉄道や塔などを手掛けることになるシューホフは、鉄の不足を克服し、同時に工期を短縮する工夫を重ねていく。その中で大規模建築の屋根の加工方法の考案も行っており、その結果としてこのグム百貨店のアーケード屋根が鉄とガラスの組み合わせたヴォールト屋根として実現した。
シューホフが生涯かけて取り組んだのが、双曲面構造。これは鉄線を格子型につなぎ合わせていく方法で、鉄の使用量を削減し、かつ強度を維持しながら、全体として括れた曲面を描く美しい構造体を完成させる。この構造は最初給水塔に採用され、その後様々なラジオ塔などにも広まっていく。
ロシア革命後、革命政府からモスクワに建つシャーボロフスカヤのラジオ塔の設計を命じられたシューホフは、1922年に高さ150mの塔を双曲面構造を使って完成させる。その軽やかな形状はソヴィエトという新時代の幕開けを告げる象徴とされたという。
この双曲面構造(そうきょくめんこうぞう)。その構造的合理性の為に、同時代に多くの技術者、構造家、建築家がその実用に向けて様々な試行錯誤を繰り返していた。線材を面として使うことで、双曲面状の構造の強靭さを兼ね備えながらも、材としてはかなり少ない量でできるという経済性を兼ね備える方式、さらに軽やかさを表現することができる。
その利点を理解し、一番最初に実現化したのがこのシューホフであるが、アントニ・ガウディも同じように双曲面の研究をつづけ、サグラダ・ファミリアの一部分にも採用されている。
他にも、スペインのエドゥアルド・トロハ (Eduardo Torroja) や、ル・コルビュジエ、メキシコのフェリックス・キャンデラ(Félix Candela)も、好んで双曲面構造を用いて設計をした。
そんな現代建築の発芽を感じることのできる奥の深い空間がこのグム百貨店。ギャラリーがあまりに長いので、下手にあちこち歩くと相当疲労するために、自分もアイスを買いこんで、ベンチで上空を見ながら味わうことにする。
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