この開封が東京と呼ばれ、北宋の首都として栄えたのはおよそ960年から1127年ということだから、優に1000年以上前のこととなる。その後、街の北を流れる黄河の氾濫によって多くの建物が崩壊したしまったというが、それでも埋もれることなく当時のまま残った建物の一つとして当時この場所にあった開宝寺という仏教寺院の塔である開宝寺塔(开宝寺琉璃塔)である。
当時の建設技術の高さを今に伝える様に、1049年創建と呼ばれるその塔の規模は地上55m。平面は八角形をしており、全部で13層となっている。なんといっても外壁には瑠璃(るり)レンガが用いられており、それらの一つ一つに細かく仏像の彫刻が施されている。その色が茶褐色をしており、まるで鉄の様に見えるから「鉄塔」と呼ばれているという。
開封に来たのなら、せっかくだから立ち寄って一度その塔を見上げて行きたいということで、市の中心から1番バスに乗り、市の東の端に位置する終点である鉄塔公園駅に到着する。入口の段階で既に遠くにちらりと塔らしきものが見えており、ということは西の端に位置するここから、あの塔までは相当な距離があり、「恐らくその後南に位置する駅に向かうにはこのバス停に戻ってこなければいけないことか・・・」とまだ朝早い段階で体力を消耗するのもどうしたものかと思いながら、入場券を購入して東に向かって地元に人の姿がチラホラする公園の中をあるいていく。
公園内にはいくつかの寺院も併設されており、その創建年や鉄塔との関係性はよく分からなかったが、あちらこちらに立ち寄りながら徐々に視界の中での大きさを増してくる塔の巨大さを理解していく。構造は中心に柱が経っており、それが外郭を成す壁と螺旋階段で接合されることで全体として強固な構造となっているらしい。
やっと塔に到着し、その外壁に掘り込まれた彫刻を見てみると、なんだかカンボジアのアンコール遺跡で見た遺跡の壁面に掘り込まれた様々な彫刻の姿に重なる。あちらのアンコール遺跡は今ではジャングルの様なうっそうとした木々に覆われているので、あたかも遠い昔のものかと錯覚してしまいがちだが、よくよく年代を確認してみると、特に遺跡の建設が盛んだった時代は1100年ほどから1200年あたり。
そうなると960年から1127年という北宋時代のほうが、その前に来ることになる。そしてこの鉄塔は創建が1049年と伝えられているので、アジアという広域で見た際に、この時代に建物を彫刻で覆うこと、そしてその彫刻の文化がかなり栄えたということで思いがけない糸が見えてくることになる。
そんな地政学と文化の糸に思いを馳せながら、西の端の水上公園ののんびりした風景を眺め、再度今来たばかりの長い長い道を戻ることにする。
霊感院
接引殿
開宝寺塔
水上公園
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