開封府の出口は北側に位置する。正面玄関の如何にも観光地として整備された感とは裏腹に、こちらの出口は如何にも「裏」という感じで、この街の現実を見せるかのように、如何にも地方都市の生活という風景を見ることが出来る。
そんな風景のなか少し歩くと、如何にもこの街の大衆生活の中心という雰囲気の場所にでる。その中心は大きな市場。道の反対側には、「拆」という張り紙の貼られた取り壊しの決まっている建物が並び、その横には既に取り壊された建物の瓦礫が散乱し、様々な紙の色と混じり、解像度の小さな雑多な景色を作り出している。
その市場の横に位置するのが次の目的地である仏教寺院の大相国寺(大相国寺,dà xiāng guó sì,だいしょうこくじ)。その正面の広場で子供達がバドミントンに興じているのが如何にも古刹的な雰囲気と、そしてこの街でどれだけ当たり前のものとして風景に溶け込んでいるかと教えてくれるようである。
大相国寺と聞くと、京都の臨済宗の寺院である相国寺を思い出すが、もちろんこちらの大相国寺が歴史が古く、その由来の基にもなっているという。京都の相国寺が室町時代の1382年に創建されたのに対して、こちらの大相国寺は555年に創建され既に1500年の歴史を有するという。とにかく中国の仏教の歴史の中でも非常に重要な意味を持つ寺院であり、「十大名寺」の一つにも数えられている。
そんな訳で宋代においても首都開封(抃京)一の寺であったこの寺院であるが、それに先立つ唐の時代においてももちろんその重要性は変わらず、遣唐使として日本から長安を目指した空海が、途中にこの寺に立ち寄ったことでもよく知られているという。
その空海像があるのは日本人としても参拝をより楽しくしてくれば、この寺院を有名にしているものとしてはもう一つ、中央の羅漢堂(八角琉璃殿)に納められている7mもの高さを持ち、金箔で塗られた千手千眼観音像だというので下から見上げて「なるほど」と思いながら参拝を済ませる。
全体として非常に縦長の敷地に建物が配置されており、残念なことに入口は南側のみ。という訳で、北の端まで行っては戻ってくるのだが、入口付近でやたらとスピーカーを通して流されているのは、北京のラマ寺院の中心施設である雍和宮付近に行くといつも流れている例の音楽。恐らく何かのお経であるのは分かるのだが、やたらとキャッチーなそのメロディーをついつい妻と一緒に口ずさんでいたので、せっかくなのでとお土産屋に入り、お坊さんの定員に「この音楽のmp3はあるか?」と聞くと、「六字真言颂」というお経だというのでそのCDを土産として買っていくことにして寺を後にする。
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