2013年2月24日日曜日

学ぶ場所としての寺社


この歳にもなってくると、見に行く建築や場所と行ってもある程度ネタが尽きてきた感が出てくる。

地方の主要都市や東京近郊のアクセスが比較的良いところは徐々に網羅され、毛細血管の先まで足を伸ばしていくか、訪問先の質を変えていくかになる。

環境建築を学生と一緒に考える時間を持てたのも一つのきっかけかもしれないが、現代に住まう我々はたまたま土地が手に入ったのでその中でどう環境に対応して住むことができるかと、すでにスタートの時点で制約を受けながら住宅を設計しその土地に住まうことになる。

歴史的にみれば、それが如何に貧しい住まい方だったであろうかと考える。

時代を遡れば、その「ここに建てなければいけない」という制約の密度も薄まり、より心地いいという場所を選べる幅が広かったに違いない。森や小河、起伏に富んだ地形と自然の脅威、それらを考慮しながら風が流れ、日の光が差し込む、木漏れ日の下で、清々しいしい空気の中に住まう。そんな場所を選ぶ事を生業とした人がいたに違いない。

そして時代は変われど、その土地の一番良い場所を優先的に占拠してきたのはその土地を守る寺社仏閣であったはず。ヨーロッパの様に街の中心に位置して、風景の中にシンボルとして聳えるカセドラルの様な中心の在り方ではなく、街の外れのどん詰まりに位置し、後ろに聖なる山を控えて街に向き合う寺社。

街からアプローチしていくと徐々に草深くなり、温度も1・2度さがり、現代的に言えばマイナスイオンが溢れる中を、木々の木漏れ日を感じながら辿り着く山門。山の起伏から導かれた勾配の階段で自然の形を感じ取り、山岳信仰と一体化した様々な土地の守り神達にお参りに行く。そんなどの時代でも当たり前の様にあったはずの風景。

自然の力が感じられる場所の森を拓き、自然の恩恵を一番得られる様に配置を決めて、自然と調和して構築されて次第にそれ自体がその場の自然となる。そんな贅沢な土地の選び方。それに比べ以下に貧相な現代の土地の選び方。しかも現代でも利用可能として残っている土地は、歴代の人々が使ってきた土地の残りの部分の中での選択。だから現代では寺社の建つような場所に敵う快適な場所はなかなか見つからないのが自然の摂理。

現代に生きる建築家として、その当時にいたであろうゲニウスロキを感じ、場所を見つけ、配置を決めて、建築を主導していった人物。現代であれば建築家と呼ばれたであろうが、彼らは現代の建築家よりもよりもはるかに自然の要素に対しての洞察力や感受性が強く、建築と自然との関係をより良きものにする能力が優れていたであろうことは容易に想像がつく。何せ現代において、「この街で好きに場所を選んでいい」と言われて設計を始めることもなければ、そういうことに想像を馳せる時間も無い建築家は、設計の条件として与えられるものと思っている自然を読む訓練んど受けていないからであろう。

そんな思いで、古刹と呼ばれ、地域の中で重要な意味を持ち、かつ長い年月地域の人々に愛されてきた寺社仏閣の空間に備わる自然への眼差しや読みときを少しでも自分の体の中に入れるようにと、出来るだけ素晴らしい古刹には足を運ぶことになる。

総本山と言われるような一大事業であった空間に比べて現代の巨匠が設計した美術館を秤にかけたら、間違いなく体験すべきは前者であり、そういう眼差しを持って比較していくと、意外と訪れたいというリストに残る現代建築の少なさに、なんだか建築本質を見る気がする。

そんな訳で古刹名刹と呼ばれるような百寺や名の挙がる古寺というのは対外自らのGoggle Mapに網羅して、その土地に足を運ぶ度に、「こんなとこにも百寺があるのか・・・」と思いながら車を走らせると、やはり古刹と呼ばれるものであればあるほど徐々に期待感を高めるような空間配置をとっており、地形の良さを利用してアプローチを設定していたり、これでもかというくらいに山深いところに配置されており、これだけ豊かな空間体験はなかなか他ではできないだろうと自分で納得することになる。

言ってしまえば寺社仏閣の空間には、日本と言う場所で培われた様々な自然との関係性において建築をするという知恵がふんだんに詰まっており、どんな建築の教科書にも勝る教えを感じ取れるそんな場所が日本には多く残ると言うことを我々現代に生きる建築家はもっと感謝すべきだろうと思いながら、次に訪れる場所に想いを馳せる。

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