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所在地 愛知県岡崎市本宿町寺山1
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建 701
機能 寺社
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リトル東京に成り下がるでもなく、どこにでもある地方都市と運命を同じくするかのように、市民の流れはイオンへと向かい、23時まで開いているその巨大店舗に、営業努力の賜物だと賛辞するだけが生き方ではないとコタツでぬくぬくする妻と両親を諭し、寒風吹き付ける中、どこに行けばこの地のゲニウスロキを感じられるかとスマホでリサーチ。
同じようなことを行って、数年前には岡座城も行ったし、昨年には大樹寺で松平家の墓も参ったしと、それ以外にどこが見どころかと地元を改めて俯瞰して見るが、なかなかこれといった決め手は無い。
詳しく調べてみると、家康が竹千代と呼ばれた幼少期に手習いに出された寺であり東海道の街道沿いに位置し様々な歴史の一ページを見てきたであろうお寺が存在し、なおかつ新撰組・近藤勇の首塚があるという。
本当か?と思いつつも、地元で足を運んでないなら、行くのに十分な理由はあると両親と妻と一緒に市の東部まで足を伸ばすことにする。
風の強い日でもあり、外はまだまだ肌寒い一日。車をでて山門まで到着するとピタリと止まる三人の気配。「あとは好きに見てきなよ」と、急階段を登ろうとする様子は全く感じられず、さっさと温かい車の中に戻ろうとする三人の姿を横目に、山裾に建てられただけあって、その傾斜がかなり急な階段を登り切り、後ろを振り返るとはるか下では車まで戻った三人の姿が。しょうがないので三人分も合わせてお参りしないとということで50円を投げ入れる。
更に左手からは登っていけるようになっており、墓所の入り口に例の近藤勇の首塚の由来が書かれている。徳川家に対する忠誠心がとにかく強く、最後まで徳川家を守るために新撰組として局長として京にて命を落とした彼だが、同志が彼の首を奪って、彼が整然から慕っていた住職の孫空義天に埋葬を依頼し、孫空義天がこの法蔵寺へ転任が決まっていたので、この地で埋葬をしてあげたという話らしい。
縁は人のためならずというが、徳川を想い散っていった近藤勇が、運命の糸に引かれてその徳川初代の家康が、幼少期を過ごした寺で埋葬されるとは、運命の悪戯とは恐ろしいなと思いながら、3人の待つ車に向かって階段を下りていく。
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