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所在地 東京都大田区池上1
宗派 日蓮宗
寺格 大本山
創建 1282
開山 日蓮
機能 寺社
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東京に住んでいると、何とはなしに耳にすることがあるこのお寺。恐らく東京出身の人にとっては、増上寺、浅草寺などと同じくらいな意味を持つものだと薄っすらと理解していた。裏覚えだけに、池上という場所にある一番重要なお寺ということで、池上本願寺だと記憶してしまっていたが、まったくの間違いだったようだ。
久遠寺のある身延山(みのぶさん)を出て、病気療養の為に生まれ故郷の常陸(現在の茨城県)へと戻る日蓮。常陸に辿り着くことなく、この武蔵野国池上郷で生涯の最後の幾日かを過ごしたということで、日蓮が没した地として起源を持つらしい。
日蓮の没した10月13日はお会式(おえしき)と呼ばれて、宗祖等の命日にあわせて行われる大法会(祭り)が行われるという。その祭りのイメージが重なってか、東京の東は浅草寺、北は西新井大師、真ん中は増上寺で南は池上本門寺という刷り込みが脳の中に出来上がっていたようである。
トップクラスの寺社であるはずが、大田区という土地柄、なかなか足を運ぶ機会がなかったといういい訳で済ませてしまっていたが、いい機会だからとおにぎりを広げる目的地として設定して、最寄り駅から起伏の激しい坂道をトコトコ歩いていくことにする。
歴史の古い古刹らしく、土地の起伏を利用して、小高い丘の上に鎮座する境内。そしてほぼ南にふられた参道には、96段の石階段とその下までのびやかに続き、丘の上の山門を眺めながらアプローチする時の気持ちを想像すると、今でも地元に愛される理由も分かると言うものだ。
7万坪近いという、これほど巨大な敷地を現代の大都市東京の中で確保するという巨大な権力を持ち、それを支える経済的基盤を保持するような寺社となると、どうしても近代的な立替を行い、より巨大な本殿を・・・となるのを良く見てきたが、久遠寺同様、日蓮宗の寺はあまり華美にならず、何よりも境内での建物の配置が非常におおらかでゆったりしている印象を受ける。
地域の人がこの境内を日常的に憩いの場として利用するのほほんとした雰囲気もも、お会式の時に沢山の出店と人がごった返す熱気に満ちた雰囲気も、両方想像がつくような空間の大らかさ。こういう空間は現代ではどうやっても作り出すことが難しいので、これこそこのような古刹を訪れるメリットというものだろう。
そんなことを考えながら、日蓮聖人像の足元で、「我 日本の柱とならん。我 日本の眼目とならん。 我 日本の大船とならん。」という言葉を見ながら、道元はじめさまざまな同年代の先輩に仏教の真髄とはなんぞやを問い歩き、激しく生きた日蓮の一生に思いを馳せる。
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