2013年2月13日水曜日

那須歴史探訪館 隈研吾 2000 ★ 

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所在地  栃木県那須郡那須町大字芦野
設計   隈研吾
竣工   2000
機能   資料館
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会津で散々な目にあって命からがら阿武隈高地を超えて来たので、同じ目にあうのはこりごりということで、行く先候補に電話をして、事情を説明し周辺に雪があるかを問い合わせると、なんだか気の抜けるような返答ばかり。それなら大丈夫だろうと高速を白川インターで降りて一般道へ。

広い田園の向こうに見える那須高原の姿に「これぞ日本の風景だ」と、何度も車を止めてはカメラを向けてみることになる。そんな訳だから片側一斜線のドライブも苦になることなく修正された目的地に到着する。

よくパートナーのマーとも話をしているが、どうして隈事務所はこんなにも沢山のプロジェクトをやりながら、しかしそのどれもがちゃんと素晴らしいクオリティを保っているのを、一体どうやってオフィス内でコントロールしているのだろうと。

恐らく現在日本人建築家として世界で最もアクティブに活躍して、また文化施設から商業施設、住宅という個人まで様々な施主を惹きつけている一人であるのは間違いないだろうし、モダンなクールでミニマルでかつ日本性を感じさせる空間を造ってくれるという安心感も助けて、世界中から引っ張りだこの隈研吾。

この現在の活躍ぶりの基礎となる土台を作ったのが今から遡ること10年から15年前、この栃木三部作といってもよい一連の作品の設計から監理を行っていた時期なのだろうと勝手に想像する。当時隈研吾は45歳前後でまだまだバイタリティに溢れる年代で、事務所にも在籍10年に手が届くような経験が蓄積されてきた30前後の働き盛りのスタッフが何名もいたと思われる。

そんな建築事務所として勢いを持ちえる時代に、建築家としては稀有な営業能力も兼ね備え、適度と言ってよい規模の仕事が一気に増加し、その仕事内容も上記に示したように多岐にわたる様になっていく。

そんなに大きくないといっても、記念館や美術館という用途の持つ踏まなければいけない設計プロセスは変わることは無く、施主との関係および信頼の構築、予算と用途の分析、フィージブルななかで隈作品としてのテイストを入れていくデザイン手法、それを土地に馴染ませるための素材の扱い、そして現場のコントロールとメディアの扱い、等々、それらを経験することでどれだけスタッフとそしてオフィスの経験値が上がっていったことだろう。

恐らく同時に動いていた3つのチームを動かすリーダーが、それぞれ協力し合いまた競争しながら、事務所の雰囲気を高めていきながら、事務所としてのスタンダードとなる仕事の進め方、図面の描き方、ディテールから素材の選び方などが徐々に固まっていく時代であったかと想像する。

組織を育てる力と自分の手から離れていくプロジェクトをなんとか事務所の作品として纏め上げていくその手腕はやはり世界レベルのものだと純粋に思うし、きっとその葛藤の軌跡がこの三部作には滲んでいるのだろうと想像する。

そんなことを思いながら建物までのアプローチとなる坂を上り、気が抜けるほど解けてしまっている雪を眺めながら建物へ。

この地の記憶を留めるためにと作られた資料館だからか、この地にあった立派な門を起点に設計が始まったのかと思わせるような門を見上げながらアプローチ。調べてみて分かったが、これは近くに現存する江戸時代の門の複製であるそうで、アートではなく建築という使われることで意味がでてくる、オブジェクトではなく空間をレプリカするということ自体が、どれだけ建築の本質に疑問を投げかけるのだろうかと思いながら、「せめて移設ということだったら分かるけど、恐らく自治体との打ち合わせででた安易なアイデアから引き返せなくなったのか・・・」などと頭を悩ませながら門をくぐる。

すっかりその地にあったものを起点に設計をはじめて、眼下に広がる那須塩原の風景へつながる石張りの通路への強い軸線を挿入したものばかりと思っていたので、雪解けの水がなんら地盤面で処理されること無く水浸しのプールになっているのも、もともとの舗装材を延長するために排水等の処理はあえて施さなかったか施せなかったのかとばかり思っていたが、「レプリカ」と分かった途端にそれもかなりの疑問符が沸いてくる。

今だ屋根から落ちてくる雪水は、左右の部分では丸石に吸収されているが、真ん中の部分では石材に跳ね返って屋根の汚れをこちらまで飛ばしてくるので、タイミングを見計らって汚れないようにと飛び越える。現在オフィスで進めている雪国での設計にぜひともフィードバックをしないといけないポイントだと思いながら建物本体へ。

多くの隈建築に引用される「日本性」を背負わされる切妻屋根の家型のシンプルなボリューム。二枚の大きな屋根面と、その下に暗く浮かぶ軒下空間。そして視線を受ける壁面の素材。そのシンプルな構成に対して、平入りか妻入りかの動線計画。

このバリエーションで多くの建築が生み出されているが、この建物は前出の複製された門と、こちらは既存のようだが蔵という二つの背の高いボリュームがアイキャッチの役割を果たしているために、メインのボリュームはできるだけ存在感を無くすようにガラス面で覆われる。

上記のパターンの他の作品にも言えることだが、ただの家型の引用として現在にひっぱてくるのではなく、風景に同化しながらも「アレッ?」と振り返るようなちょっと不思議な感覚を呼び起こすような、水平方向に引き伸ばされたスケール。

通常の家では決して起きないこの横長の家型が、現代の家以外の用途を押し込められることで歪みを生じ、ある種の異化作用を起こしているのだろうが、それは家型という形を採用する形態を放棄したかのようなスタンスが、実は家型という形態以上に現代の機能に適した形態を表現し得ないことの裏返しか。それともそれが隈建築があるレベルのクオリティを保てる秘訣なのか。

内部は藁や木質系セメント板などところどころに触って見たくなるような手触りの感じられる素材が使われ、こうして「日本性」を空間化できる素材の使い方はやはり素晴らしいと感じる。展示ブースの角の納まりなどをみて、このディテール一つを実現するのにも今の中国ではまだまだ距離がありそうだとうなだれるように次の建物へ。
























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