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所在地 神奈川県横浜市鶴見区鶴見2
宗派 曹洞宗
寺格 大本山
開山 1321
祖師 道元・瑩山
機能 寺社
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南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)という念仏が、しとしとと降りしきる雪の中に染み入る様な空気の中では、常時200名以上の修行僧が朝から日が沈むまで修行に励げむ。
それから80年の月日が流れ、瑩山が石川県輪島市に1321年に開いたのが総持寺。1615年に徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで曹洞宗の大本山と認定されるようになる。
そして600年の月日が流れ、江戸から明治の近代日本のなか、1911年に火災により消失したのをきっかけに現在の横浜市鶴見へと場所を移し、近代建築として再建され、約50万m²以上の敷地を持ち、全国に約15,000の寺院と、1,200万人の信徒を抱える曹洞宗の大本山として永平寺と肩を並べる存在になっている。
なんといってもその大きさ。広大な敷地の中では大学も運営しているだけあって、とにかく広く、敷地のあちこちに袈裟を着たお坊さんの姿が見え、国際的な禅道場として位置づけられているのが良く伝わってくる。
かつては草深かったであろう武蔵野国だが、600年の時間と共にすっかりと俗世へと染まった周辺地域を横目に、小高い丘にこんもりとした森の中にひっそりと隠れ、山の起伏を利用した参道の配置から金鶏門(きんけいもん)を潜った途端に直行グリッドの中に配置される建物郡。そしてとにかくでかい大祖堂。
その信徒数からも納得できるように、そして永平寺として全国15000万以上もの寺院のトップに立つ総本山としての威容を見せ付けるかのごとく、俗世からは遠くかけ離れた建築のスケール。
石原裕次郎や伊東忠太の墓もこの総持寺にあるというが、他にも多くの有名人が眠っているという。
そんなに勾配は無いが、出来るだけ俗世に距離を取ろうという意志が働いたと思われるが、参道から出来るだけの直線をとりたどり着く三松関。そこから折れてまた出来るだけの直線を歩かされて、微妙な勾配も手伝って見上げることになる三門(さんもん)。
その後は起伏に沿って金鶏門(きんけいもん)をくぐって境内へ。左右二つの如何にもな雰囲気を醸し出す建物を見据え、どちらからお参りに行くか迷いながら、まずは木造の仏殿へ。これも相当大きな建物に分類されるはずだが、その横に見えている大祖堂のスケールが桁外れなだけに、なんだか小さい建物の様に錯覚を覚える。
お参りを終えて、緩やかな勾配を下りながら、壮大と巨大の違いをに想いを巡らせることになる。
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