2013年5月27日月曜日

ぶち当たるネイティブの壁


海外で働いていると、どうしてもぶち当たる壁がある。

できるだけ自分で情報を正しく得られるようにと学ぶ語学。上達すればある程度打ち合わせでの会話も理解できるので、中国人だけで中国語での打ち合わせにも英語への変換を無しに同席し、なんとか会話の背景から意味を読み解きながら流れを追っていくことになる。

しかし、どんなに勉強しても、中国人がなんの気を遣うことなく激しく話し合う会話を100%理解し、同時に意見も言うことは相当な語学力が必要となる。中国語が理解できない外国人は、まるで自分には関係ないこととして割り切ってしまうが、なまじっか理解できるから、周囲も気を遣うことなく中国語だけで物事が進む。

母国語ならば、問題なく専門家との会話も理解でき、その中から現在の最先端の技術や素材の成り立ち、問題の解決法などを理解して、職業人としての能力もアップしていく。しかし会話を6割の理解で追っかけていれば、その理解もそして自らの成長も遅くなる。まるで高校生がいきなり社会人の打ち合わせに参加しているような、自分がなんて愚かなんだろうと感じることになる。

なんとなく自分が言いたいことを伝え、相手が外国人だと慮って話す中国語を理解するのはそれほど難しいことではない。必死に努力すれば2年近くでそのレベルに達するだろうが、そこでぶち当たる壁。

通訳など語学の習得が目的ではない日常の中で学習を続けるのだから、それほどまとまった時間が確保できるわけでもない。その中で、はじめてあう仕事関係の人との打ち合わせでも、問題がないように意思疎通ができるレベル。自分達の考えを論理的に説明し、相手を説得し、納得した形で仕事をスムースに進めていく。そのレベルまでの圧倒的な距離。会話の中で自分ひとりがおいていかれるような感覚。

そんなことで悩みながら見るニュースで白鳳の優勝インタビューを目にし、この人たちも他の人たちが稽古に励んでいる時間に、同じように稽古をしてなおかつ日本語も勉強して、今ではこうして周りが何の疑問も持たないようなレベルの語学力を身につけているのだと思うと、本当に頭が下がる思いになる。

ストレスを感じるのは問題があるからで、問題があるのは原因があるからで、それが人間関係でも自分の能力不足でも、それはほかっておいても誰かが取り除いてくれるものではなく、自分で取り除くか乗り越えるかでしか解決できないなら、下を向いている時間をできるだけ少なくして、とっとと解決して少しでも楽になることを考えた方がよいかと頭を切り替えることにする。

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