2013年5月15日水曜日

「さよならドビュッシー」 中山七里 2010 ★★★★


このミステリーがすごい大賞受賞作の中では圧倒的な作品だと思わずにいられない、圧倒的な言葉と内容。そしてピアノという世界の疾走感とリズム感。読み終えた後に、久々にショパンとドビュッシーでも聞くような週末を過ごしたくなるような一作。

ミステリーとしての伏線のしき方。楽譜の上に置かれた音符が連なることで音楽を奏でるかのように、前半から散りばめられた伏線たちが一つ一つ絡み合いながら、徐々に一つのメロディをつむぎだす。時に強く、時に速く、時に優しくとリズムを変えながら。

「楽器を奏でるのはもっと楽しいはずなのに、何でこんなに苦痛なのだろう?音楽ってこんなに気まずい思いをしなきゃいけないモノだろうか?」

バレエでもピアノで、どの世界でも上を目指そうと決めたときから開始する痛みを伴うような苦痛の日々。ピアノという10代の時間の過ごし方がその後のキャリアに直結するような世界。

「夢を見る夢、お前が追っているのは起きて見る夢。そいつが現実の中でどれだけ足掻いておるか」

自我が芽生え始めた時代に、これだけストイックに自分を追い詰め、楽譜に向き合いながら、それでも努力した誰でもが評価される訳ではなく、そこには厳しい優劣が決められ、勝敗が決定される。そして勝ち残ったものだけが次のステージに上がっていける厳しい世界。

「ピアノ弾きとピアニストという言葉があって、この二つは似ているけど全く違うものなんだ。ピアノ弾きは譜面通りに鍵盤を叩くだけ。しかしピアニストは作曲家の精神を受け継ぎ、演奏に自らの生命を吹き込む。もちろん、そのためには血の滲むような努力が必要だ。」

好きで足を踏み入れた世界。気がつかないうちに目を送ることになった上の世界。限られた席を目指す数多のライバル。より高いところからの風景が見たければ、他の誰にも負けない実力を身につけるしかない。

「重要なのはその人物が何者かじゃなくて、何を成し遂げたか」

誰もが口には出さないが、一日でも早く「勝負」で優劣が決まる、勝敗が決まる日々から解放され、自分の立場、自分のポジション、安定した生活が保障されてほしいと願うものである。それは楽だから。常に自分を追い込み、ストイックに時間を過ごし、周りが楽しそうに過ごす姿を横目に見ながらも、それでもまた自分自身に向き合うことになる。

「称賛と興奮は一瞬で治まるが、嫉妬と冷笑はいつまでも持続する」

ネット社会に突入し、無制限の刺激に晒された人類は、その欲望の消費活動も加速させ、一つの刺激に飽きてはすぐに次の刺激をさ迷い歩く。

「我が身を不幸と信じる人間が嘆き悲しんだ後に思いつくことは、自分以上に不幸な人間を見つけ、その不幸度合いを確認することだ」

人生はいい時もあれば、悪いときもある。良い時は上を見て歩けるが、悪いときは必ず下を向くことになる。その時にどういう風に時間を過ごすかがその人の人格を決定させる。

「その職業を選択した時点でその道のプロになろうと努力するのは最低限に義務だと僕は思います」

生きる糧なのか、それともプロフェッショナルとして二本の足で立ち、社会に対して正々堂々と生きていくのか。

「皆と違う道を歩いているのは、皆と一緒に歩くことが怖いからじゃないか。表現者だとかクリエイターだとか、自分は一般大衆とは違うんだと気取っても、結局は闘うことから逃げている只の臆病者じゃないかと思ったんだ。他人と違う道を歩けば、確かに違う景色を見られる。しかし、その道は未舗装の曲がりくねった道だ。泥沼もあって足を取られる。どこに到達するのか道標もない。自分のことは棚にあげておいて卑怯なようだけど・・・自分だけが特別な存在だというのは傲慢で、そして臆病な者の虚勢に過ぎない。」

人が社会的存在であるならば、その存在意義もまた社会なくしては成り立たない。自分の本来の姿を見ることを恐れ、また見られることを恐れるあまり、「競争」や「勝負」から避けているうちに、社会からどんどん距離を置くことになる。

「大事なのはどんな道を歩くかではなく、どう歩くかである。」

「逃げるのは確かに楽だ。でも、それだけだ。楽をして得られるものは怠惰と死にゆくまでの時間しかない。」

「すべての闘いはつまるところ自分との闘いだ。そして逃げることを覚えると余計に闘うのが怖くなる。」

とことんストイックな言葉達。中高生の部活動の先生が読んだらよっぽど意味があるだろうと思わずにいられない。

「技術は必要だけど聴衆はそんなものを聴きたいわけでない。聴衆はどんな超絶技巧をみせられても、感心はしても感動はしてくれない。人が感動するのはいつだって人の想いだからね。その想いを形にしたものが芸術性だ。」

建築の世界でも陥りやすいこの穴。技術という積み重ねが聞く分野に足を踏み入れ、費やした時間の長さで評価を得ようとするのに対して、いつまでも潔く、自らの信念と感性によって負けるのも厭わずに勝負し続けること。その中でしか、見えてこない本当の自らの想い。それを見つめられるまで時間を費やせるかどうか。

「現代は不寛容の時代だ。誰もが自分以外の人間を許そうとしない。咎人には極刑を、穢れた者、五体満足でない者は陰に隠れよ。周囲に染まらぬ異分子は抹殺せよ。今の日本はきっとそういう国なんだろう。いつころからか社会も個人も希望を失って皆が不安がっている。不安が閉塞感を生み、その閉塞感が人を保身に走らせる。保身は卑屈さの元凶だ。卑屈さは人の内部を腐食させ、そのうち鬱屈した感情が自分と毛色の違う者や少数派に向けられる。彼らを攻撃し排斥しようとする。そうしているうちは自分の卑屈さを感じなくて済むからだ。立場の弱いものを虐めたり差別するのもたぶんにそういう理由だろう。不正を糾弾された人間に問答無用で罵声を浴びせる、頂上を極めて者の転落を悦ぶ・・・全部同じ構造だ。」

日本全国を覆う閉塞感。誰もが感じるその圧迫感。いつからこんな国になってしまったのか。その「空気」を代弁する作者。

「逃げることを覚えるな。闘いをやめたいと思う自分に負けるな」

なんともかんとも、ミステリーという形を借りた作者の人生論が散りばめられた言葉達。それらがどれもストイックで、そしてまっすぐ。啓蒙本のように借りてきた言葉ではなく、自分で見つけた言葉だからこそ物語の中で彩りを放つ。恐らくとてつもなく物事を考えながら、密度の濃い時間を過ごしているのに違いないと思わずにいられない。


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『このミステリーがすごい!』大賞第8回(2010年)大賞受賞作
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