数日前に、締め切りの迫ったコンペの仕上げの為に、週末も関係なく出勤し、夕飯の時間も忘れて作業に没頭していたら、妻より「少しはワーク・ライフ・バランスも考えて」と怒られる。
忙しいことはしょうがないが、家族を怒らせてはいけないと少々反省する。
そして考える。
余裕を持って今の自分の時間の過ごし方を振り返る、なんてのんびりとした時間の過ごし方はこの情報化社会の中で生きる30代にはなかなか手の届かない理想だとは理解する。
ましては余裕を持ってこれから自分の進む道、時間に想いを馳せる、なんていう一歩先には到底たどり着けるはずも無く、そんな余裕も無く日々はそれでも過ぎていく。
そんな中でも忘れていけない基準線。つまりは超えてはいけないボーダーを自覚的に時間を過ごすかどうかは重要だと、改めて考えさせられる。
その最たるものが、家族や大切な友人に連絡の一つ、メールの一つも入れるのが出来ないほど忙しさかと思う。
「時間に余裕がない」ということは、「気持ちにも余裕がない」と同義であり、それは同時に自分の自信も徐々に無くしていき、人と接する時間も削られるに従って、自分を肯定してもらえる相手との時間も減ってくる。
そんな悪循環。
そんな時間の過ごし方はダメだと思ってはいるけれど、やるべきことかどうかも分からない日々処理しないといけないことに押し流されて、気がついたら深夜。
飯を食べて、風呂に入って、寝る。
人間的というよりは、動物的な時間の過ごし方。
そんな自らの姿を良く分かっているからこそ、更に友人への連絡が疎かに。
そこまで考えを巡らして、「これはいかん」と、出産を控えた親友にメールを送り、超えそうになっていた足元のボーダーに視線を落とすことにする。
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