2015年10月6日火曜日

水戸芸術館 磯崎新 1990 ★★


--------------------------------------------------------
所在地  茨城県水戸市五軒町
設計   磯崎新
竣工   1990
機能   美術館、コンサートホール、劇場
規模   地上4階、地下2階
構造   SRC造・RC造(塔本体のみS造)
--------------------------------------------------------
東日本大震災後、引き続く余震の度にテレビの地震速報でグラグラと揺れている映像を見て、「大丈夫か、あのタワー?」と知名度を上げた感のあるこの水戸芸術館。水戸市100周年事業として市長の鶴の一声で「予算100億、タワーの高さも100m」と音楽、美術、舞台と言った文化を使って市の活性化をしようという壮大なプロジェクトである。

1990年と言えば、1991年に弾けたとされるバブル景気の真っ最中に計画が立ち上がり進行していたということになり、当時日本全国の自治体による様々な町おこしブームの一環として起こったものの中で、明確に「文化」を軸にし、現代にもしっかりと都市に根付いているのを見ると、その先見の明があったことを物語る。

そしてもう一つ先見の明があったと言わざるを得ないのは、当時どこでも「多目的ホール」という音楽の演奏も聴くことができ、演劇も見れ、更に大きな会議にも使えるという多用途に対応できるフレキシブルなホールがあちこちに生まれた。しかしこの芸術館では、計画当初から美術・音楽・演劇の各部門に「芸術監督」なる外部のスペシャリストを招聘し、建築家と協議しながら設計に反映したというプロセスを経て、多機能に重ね合わせるものではなく、あくまでも三つの機能を独立させ、それぞれの機能に特化した空間を作り出すという方法を取ったこと。

その為に、コンサートホールでは音楽を楽しむための音響に特化した設計に、美術館では自然光を取り入れ、様々なタイプの展示に対応できる長さのある展示空間に、演劇では舞台を取り囲むように360度に配置された客席によって観客と演者の距離を近づけ、「見る/見られる」の関係から一体に演劇を楽しむ空間に設計を押し上げることになる。

それらの三つの文化機能が複合され、全体として芸術館という一見分かりにくい名前が冠されているわけである。

そして敷地脇にはシンボルとなる高さ100mのアートタワーが設置され、これはエレベーターにて上部の展望台にアクセスできる設計となっている。東日本大震災でもぐらぐらと揺れながらも、決して倒壊することなくその構造設計の正しさを証明することとなる。

建築の設計を担当したのは磯崎新。再度そのキャリアを見ていくと、そのキャリアの中期の作品に当たり、同県のつくばセンタービルから7年を経て、また茨城の地にて重要な建築を手がけることになったということである。

1960年 大分医師会館 (29歳)現存せず
1966年 大分県立大分図書館(現アートプラザ) (35歳)
1966年 福岡相互銀行大分支店 現存せず
1970年 日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置 (39歳)
1972年 福岡相互銀行本店(現西日本シティ銀行本店) (41歳)
1974年 群馬県立近代美術館
1974年 北九州市立美術館
1974年 北九州市立中央図書館
1983年 つくばセンタービル  (52歳)
1985年 ザ・パラディアム
1986年 新都庁舎コンペ案
1986年 ロサンゼルス現代美術館(アメリカ)
1987年 お茶の水スクエアA館(カザルスホール)
1987年 北九州市立美術館アネックス
1988年 東京グローブ座
1990年 水戸芸術館 (59歳)
1995年 京都コンサートホール
1998年 秋吉台国際芸術村
1998年 なら100年会館
2007年 イソザキ・アテア(ビルバオ、スペイン)
2008年 深圳文化中心
2008年 中央美術学院美術館
2011年 ヒマラヤ芸術センター (80歳)
2014年 上海交響楽団コンサートホール(中国)


最近設計を進めているコンサートホールのプロジェクトのため、日常的に様々なコンサートホールを訪れたり、図面を見たりしては、その肝である音響設計を理解しようと、すっかりコンサートホール漬けの日々を送っている。

そしてこの水戸芸術館でも、日本が世界に誇る音響設計のスペシャリストである、永田音響によって音響設計が行われ、2014年に同じく磯崎新設計によって完成した上海交響楽団コンサートホールまで、建築家と音響設計者とのコラボレーションは長く続くことになる重要な一作。

コンサートホールを見ると680席という中規模のホールで、この水戸という都市には適したサイズのホールとなっている。舞台を6角形にし、舞台の後ろにも客席を置き、前方は3方向へと座席が広がるタイプであり、舞台と客席の一体感を作り出す配置となっている。

本来コンサートホールにあるべきパイプオルガンが、この建物ではエントランスホールの上空に設置され、背の高いホールの空間を時に音楽イベントでも利用するという意図で設計されたという。

タワー、パイプオルガン、劇場、コンサートホール、美術館。そして併設されるレストランなどのサービス機能を考えると、一体どれだけの機能を合わせ制御しなければいけなかったのかと、その設計過程を想像すると少々頭が痛くなる。

それを100億という予算で行ったと言うのであれば、恐らく行政としては十分にもとの取れる投資であったのではと勝手な想像を膨らませる。

市街地活性化の為に行われたプロジェクトではあるが、まさか竣工後すぐにバブル景気が吹き飛ぶとは誰も想像しなかったであろうが、それでも完成からすでに25年。四半世紀を経てもしっかりとこの都市で重要な場所となっている姿を感じ取り、次の目的地へと向かうことにする。






















0 件のコメント: