来年は大河ドラマ「真田丸」はこの甲斐国(かいのくに)を舞台に活躍した戦国武将・真田幸村を主役に描かれるために恐らく多くの人が現在の山梨県と重なるこの地を訪れることになるだろう。
別称を甲州(こうしゅう)とされ、東海道のほぼ真ん中に位置するこの甲斐国。国府、国分寺そして一宮のおかれた場所から現在の笛吹市がその行政的な中心地であったのがみて取れる。
多くの人がイメージするように、甲斐といえば「風林火山」の軍旗を用い、「甲斐の虎」と恐れられた戦国武将・武田信玄。急峻なその地形で鍛えられた騎馬軍団は他の武将を圧倒する武力を備えていたことでも良く知られる。
その父・武田信虎の時代に開創された甲府が城下町として整備され、政治的・経済的中心地として発展し、現在の山梨県の県庁所在地へとつながり、人口20万ほどのこの地域の中核都市として機能している。
日本地図の真ん中に位置する土地柄、東西の交通の要所として、その敷地内には江戸時代の五街道のうち東海道、中山道、甲州街道の三つが整備されており、その重要性がみてとっる。
特に五街道の中で一番最後、1772年に完成した甲州街道は、まさにこの甲斐を江戸と結ぶために整備された街道であり、下諏訪宿で中山道と合流し、京都まで繋がっていくことからも、江戸幕府にとって甲斐が重要な意味を持っていたことを現代に知らしめている。
近世まで日本の覇権を握るための重要な要として位置づけられてきたこの甲斐国が、現代という全く異なった交通および経済インフラによって塗り替えられた地政学の中で、どの様な風景を保っているのか、そして恐らくほかの土地に比べてより濃くかつての存在した風景の痕跡が残されているであろう様々な場所に期待を膨らませて「中央フリーウェイ」を聞きながら西へ向かうことにする。
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