2013年12月2日月曜日

吸い上げる都市


地縁について思いを馳せる事とともに始まった今年の師走。

地縁というのが脈々の日本の各地で続いてきた時代というのは、明治以前の様に都市間での移動が非常に難しい時代をベースにしていた。時代は流れ大正、昭和になっても、各家庭には複数の子供がいて、長男は家を地元に残り家を継ぎ、次男や三男は都市に出て仕事を見つけるというスタイルが成立していた。

更に時代は流れ少子化と核家族化が進み、それが社会の多数を占めるようになった時に、既に地縁というものが消えていく傾向は始まっていたはずである。極めて限られた大学進学率を誇っていた時代には、地元から選抜されたエリートがより大きな地域や国の為に仕事をする為に、都会の大学へと進み、そのまま都市に残って生活を営んでいく。そういう時代は生まれ育った都市から出て行くことのハードルがまだ高かったと想像に難くない。

しかし大学全入時代を決定付けた2007年に代表されるまでも無く、少子化の果てに誰でも経済的余裕があれば大学に入れる時代になってしまい、それに伴い18歳になった子供の多くが親元を離れ都市部や他の都市へと移動する。

既に核家族化した多くの家族にとっては、長男も次男も差が無く、よりよい将来の為に少しでも良質な大学へと地元を離れ学をおさめ、更に能力次第によって別の都市、更に巨大な都市へと移動し力を発揮していく。

機会を求め、待遇を求め、仕事を求め、優秀であればあるほど、都市に吸い上げられていき、その吸引力は一生に渡り発揮される事になる。

地元回帰意識が強く働く時代であり、都市間にまだ距離と移動の困難さがあった時代というのは、地方が地方の存在意義を持ちえたが、移動が容易になり都市間競争が大都市の圧勝として決定付けられた現代においては、各地方に根を張ることよりも、大都市がそのフィールドを広げていく事の方がコスト的にもビジネス的にも強さを増してしまった。

その時に地方の意義といものを強烈に再定義しえた都市以外は、移動が容易になって簡単に流出していく人材に対して引きとめる引力として作用を持ち得ないことになってしまう。その地に残るのは「ここが住みやすいから」というポジティブな理由なのか、それとも「別に出て行く理由がないから」というネガティブな理由なのが不明瞭になっていく。

大家族的経営が行われていた高度経済成長時代。誰もが右肩上がりで、大きな傘の中で身内を守りながら成長するモデルは、社員の家族までもその傘に入れる事ができ、転勤という巨大な人口再シャッフルによって、地元回帰を成して地縁を維持することが何とか可能であった。

その時代はかつてのこととなり、世界的な競争に常に晒され、効率化を日常的に行い、無駄なものは全てそぎ落とし、限られた身内を守ることで精一杯となった日本の企業。各家庭もメンバーが少なくなり、依存できるのは一等親までの極めて近しい身内のみという状況で、家族を守る為に少しでも良い条件を求め、過酷な労働条件でも、とても上等とは言えない生活環境でも甘んじて受け入れ、歯を食いしばるように手に入れた仕事にしがみつき、多くの人間を都市へと吸着する。

自分を振り返っても、恐らく10年前後の間には両親もこの世を去り、既に地元を離れて生活を持っている兄弟と共に、住居を処分し、墓の処理を話し合い、地元とは違った場所で生活を持つことになり、更に地元との縁は薄くなる。

何年かに一度行われる高校などの同窓会にもやってきてはホテルに宿泊するのかと思うと悲しくなるが、それが現代に突きつけられた事実。多くの人がそうして場所を変えながら生きていく時代。

そこには加速度的に増加する大都市と地方との格差であり、特権化する都市の引力。と同時にそのシステムは都市がどんどんと小さな地方を崩壊させていく姿に他ならない。何が地方を疲弊させるのかといえば、人材がいなくなることであることは間違いない。

中心と周縁というテーマに再度向き合いながら、新しい局所的な多中心を作っていかなければ本当にこの国の未来の風景はまったく変わってしまうものだと思わずにいられない。その為にも、抵抗する事ができない現代の資本主義に支えられたこの都市の引力を前提として、新しい地縁のあり方、離れてもそれでも切れる事のないネットワークとしての地縁を想像していかないといけないと心から思う今日この頃である。

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