日本の外で日常を過ごし、日常で接する大多数の人間が日本人以外でいると考えさせられる事の一つに「日本人の優秀さ」がある。
世界で何かを成し遂げるタイプの人間というのは、とにかく自分で物事を決めていく人間であり、朝令暮改になろうとも常に自分で決断を重ね、その以前に行った決断よりもよいベターな選択肢があると判断した時には、周りが困ろうとも、プロジェクトが遅れようとも、より仕事が増えようとも、そんなことはお構い無しに決断をできるタイプの人間である。
ただしその決断には誰よりも責任を持ち、誰よりも深く考え、どんな反論を受けようとも論理的に論破できるだけのロジックを用意する。それでいながらも外からみると「なぜ?」と思うくらい鮮やかに、かつ迅速に決断を下していく。その積み重ねによってより感性が研ぎ澄まされ、リーダーとしての風格をまとっていく。
それに対して日本人で優秀だといわれるタイプは、とにかく空気を読める事。誰が何を欲し、何を望んでいるのかを瞬時に察して、うまく振舞う事ができるタイプ。その空気を読んだ上で決断を下していける人間。
いわゆる優等生といわれるタイプの人間で、常に決定の力の及ぼす枠組みを視点に捕らえ、マジョリティとして生き残るように決断を下していく。小さな頃から教師や親からそのようにすることで「偉いね」と褒められて、その結果同級生からもある程度の尊敬を集めて調整役としてのリーダーの経験を積んでいく。
「クラスの全員が反対しても、俺はこれが正しいと思うからこれだ。」
というような小学生の学級委員が日本中どこを探してもいないのは、この国を覆う空気がなせる業であろう。
典型的な日本人としてその様な時間が身体の中に浸み込んでいる自分にとっては、いまさらながら周囲をバッタバッタと一刀両断するようなリーダーにいきなり変われる訳も無く、どんなに外国人に囲まれる日常でもそれでもやはり空気を読んで調整をしてしまう。
その横で、「お前、この前全然違う事言ってたじゃないか・・・」と思うような決断を下していくパートナーの姿を見ると、「これはどうあがいても日本で育った日本人には無理だし、敢えてそれをやる必要もないから、自分は自分のやり方でボチボチやっていくしかないかな・・・」と目の前に続く厳しい道のりに思いを馳せる事になる。
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