最近様々なメディアでも目にするようになった若き社会学者。何冊か本が売れているという様子は知っていたが、どうにも腰が引けながら数年を過ごしてしまったが、どうやらこの世代のトップランナーであることは間違いないらしいので、とにかく知っておこうと手にした一冊。
若者である筆者自身が、おじさんが勝手に「最近の若者は・・・」とグチグチ言っているのに対して、「若者が若者の本当の姿を描いてやろう。彼らの視線が捉える現代の日本を描いてやろう。」という意欲作であり、そのためにはあまりにも曖昧に使われている「若者」という定義と「現代の」という定義をしっかりと統計学に沿って浮かび上がらせて、根本的には第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」の内容が言いたかったこのという構成のようである。
もう既に「若者」というカテゴリーから足を抜いて、着実に「おじさん」のカテゴリーへと移り始めている自分であるが、「建築家」という職業的年齢ではまだまだ「若者」という払拭し得ない矛盾を抱える為に、社会学が捉える若者語りはどういう方向へ進んでいるのか見ていくことにする。
1章から5章までかけて語られるのは、「そもそも「最近の若者は・・・」と語られる、内向き、不幸、地元化、貧困、モノを買わないなどのそれぞれの要因について実際数字で検証すると何が見えてくるのか?」とおじさん世代が偉そうに言っている事が実は余りにも曖昧なイメージを元にしているということを論証し、そもそもそのおじさん達が若者であった時代と比べて若者自体が何か大きく変わったわけではなく、時代と国が変わったのだと一つ一つ論を進めていく。
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1950年の時点で日本の都市人口は4割に満たなかった。日本人のほとんどは農村に住んでいたのである。農村に住む若者と、都市に住む若者の生活スタイルはまるで違った。
企業としては一番人口が多い年代をお客様にするのが賢い。
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高度成長期を終え、右肩上がりの時代だから共有できた「中流の夢」が崩壊した後、生きる為に中央に向かわなければいけない人が減り、地元に残りながらも、それなりに楽しく、そこそこ幸せな日々が送れる現代。
縮小社会に向かう日本の今後を見据えるからこそ、その「幸せ」を支える生活の基礎自体が徐々に腐り始めていながらも、「今」の自分の状況をそれなりに「幸せ」だと定義して地元化の中で終わりなき日常を生きる現代の「若者」。
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なぜ車の販売台数が大きく減ったのか。日本の人口構造が変わって、高齢者が増えて若者が減ったからである。
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安全で確実な道を選んで生きる。
英語力が足りないために自由な交流ができているわけでもない
他人を押しのけてまでは成功を求めず、むしろ身近な仲間達を大切にする。
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不況だ、格差だと叫ばれている最近のほうが、バブル時代よりもよっぽどみんな留学しているのだ
「1マイル族」
「お金を使わない20代の若者」
「自宅から半径1.6キロ以内で暮らす若者」が増えている
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あくまでも高度成長期と比べた時の話だ。当時は農村人口が多く、地元で働き口の無い「二男三男」たちは都市にでるしかなかった。いわゆる「金の卵」というやつだ。
都会の企業は安価な労働力として農村出身の若者を求めた。その利害の一致が起こした人口移動。
大学も働き先も無い「本当の田舎」が減って、「そこそこの都市」が増えた
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自動車・家電・海外旅行離れ
若者は決してモノを買わなくなったわけではない。買うモノとそのスケールが変わっただけのこと
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これからの人生に「希望」がある人にとって、「今は不幸」だといっても自分を全否定したことにはならない
「今日よりも明日がよくならない」と思う時、人は「今が幸せ」と答えるのである。
自分達の目の前に広がるのは、ただの「終わり無き日常」だ
コンサマトリーというのは自己充足的
社会という大きな世界に不満はあるけれど、自分達の小さな世界には満足している
「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性のこと
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大学卒業後、一つの企業だけで働き、出世レースに明け暮れて、趣味と言えばゴルフとマージャンくらいしか知らない「お父さん」のほうが、僕から見ればよっぽど「内向き」に見える。
ムラに住む人の様に、「仲間」がいる、「小さな世界」で日常を送る若者たち。これこそが、現代に生きる若者達が幸せな理由の本質である。
多くの人が「仲間」と暮らすのは、何も起こらない退屈な日常だからだ。
日常の閉塞感を打ち破ってくれるような魅力的でわかりやすい「出口」がなかなか転がってはいないからだ
自分のつまらない日常を変えくれるくらいの「非日常」
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世界中何処にいても「故郷」とともに暮らしていけることを意味する
世界中を自由に移動できるのも、実際には限られた人だけだ
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おそらく若者を含めた、平均的な日本人はルイ14世よりも豊かな暮らしを送っている。
家の近所のレストランで世界中の料理を食べることが出来る
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原子力を受け入れたムラは活性化した。雇用は創出され、出稼ぎ労働の必要は無くなった。喫茶店や飲み屋、下宿宿などが出来てムラは活気付いた。電源三法交付金や固定資産税などにより、ムラには図書館や福祉施設などの立派な箱物ができるようになった。
原発を止めることは、原子力ムラの人々の生活の基盤を脅かすことになりかねない。
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ざっとこのようなことが5章までに語られる。その前提を踏まえ進むのが第六章の「絶望の国の幸福な若者たち」。
今の日本で叫ばれる「格差」や「貧困」の実の正体が見えにくくなってしまっているのは、日本が「社会福祉」で成り立っている国ではなく、実は「家族福祉」と「会社福祉」で生活が保護されているからだという点はとてもすんなり納得する。
「既得権益に居座る高齢者の勝ち逃げ」状態になっている現代の少子高齢化社会。「足りない労働力は解雇しやすい契約労働者や派遣労働者で補おう」という企業の勝ち残りのための已む無き選択の幅寄せは、ダイレクトに現役世代の若者へと向かう事になる。
会社への忠誠を誓わせる為に、終身雇用制と年功序列制で若いうちは給与は低いが、長く会社に奉公すればするほど将来的な給与も、様々な付加的な待遇や福祉も手厚くいただけるという制度は、必然的に雇用の流動化を妨げる。
社会を支えるエリート養成の場としての役割から、全入時代を経て、「大学進学率が急上昇してしまい」、そのあおりを受けて起こる「若者の就職難」。
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WiiやPSPを買えるくらいの経済状況で、それを一緒に楽しむことが出来る社会関係資本「つながり」を持っていれば、大体の人は幸せなんじゃないか
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というように、現代に生きるためには「経済的な問題」と「承認の問題」をクリアしさえすれば、そこそこ幸せな日常をおくれ、そのために「わかりやすい貧困者」がなかなか見えてこない。
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若者の貧困問題が見えにくい理由、それは若者にとって「貧困」が現在の問題と言うよりも、これからの未来の問題だからだ。若年層ほど世代内格差は少ない。20代のうちは給与格差があまりないからだ。
しかし正社員と非正社員の違い、優良企業の社員とブラック企業の社員の違いは、彼らに「何か」あった時に明らかになる。
病気なった時、結婚や子育てを考えた時、親の介護が必要になった時、社会保険に入っていたか、貯金があったかなどによって、取れる選択肢は変わってくる。
若者の貧困が顕在化しない大きな理由の一つに「家族福祉」がある。若者自身の収入がどんなに低くても、労働形態がどんなに不安定でも、ある程度裕福な親と同居していれば何の問題もないからだ。50代の家の平均貯蓄は1593万円、60代だと1952万円になる
働いている子供が家にお金を入れている場合もあるが、たいていの場合、その額は家族を支えるほどのものではない。家事をほとんど分担しないケースも多い。また親と同居している未婚者のほうが、同居していない人よりも生活満足度が高いという調査もある
日本の経済成長と共にストックを形成してきた親世代にパラサイト
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自分の近くの誰かの姿が思い浮かんできそうな表現だが、相当多くの若者が以上の通りにかなり親に「甘え」、自らの経済性以上のレベルの生活を享受し、それに何の疑問を持たず、自分で稼ぎ、その中でやりくりするという当たり前のステップを踏むことなく大人になってきている。すぐそばまで迫っている、「親がいなくなった後」の自分の生活に想像が及ばないのか、それとも怖くて目が向けられないのか。
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一度「いい学校、いい会社」というトラックから降りてしまうと、再びそこに戻るのは難しい。
かつての若者には貧困から抜け出すチャンスも多かった
現在はフリーターから抜け出すのが二重の意味で難しくなっている
フリーター経験者を正社員採用することを躊躇する企業が多い
当の若者が必ずしも正社員になりたがっているわけではない
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と描写される現代社会。確かにその理由は間違っていないだろうが、それは同時にその本人が、皆と同じように苦しみながらも、楽しくない毎日の仕事を我慢しながらもこなしていくというストレスのかかる生活から下りて、責任もストレスも少ない生活に入る事で確実に「気力」も下がることになる。それは、「生きる」ことへの「気力」でもあり、「がんばること」への「気力」でもあるだろうが、一度そこから下り、楽を覚えた身体と精神には、また元の場所に戻ることも、元の場所での仕事や生活で責任とストレスを抱えながら生きる事は、続けるよりもより大きな「気力」が必要になる。
つまり一度階段を下りると、なかなか戻れないのは社会だけでなく、人間の性でもあるのだろうと思わずにいられない。
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未来の「貧しさ」よりも、今現在の「寂しさ」のほうが多くの人にとっては切実な問題だからだ。恋人がいればいい。
「無いと不幸なもの」の一位は「友人」
「ブスなら化粧で化けられるし、仕事が無くても、不景気だからと言い訳できる。でも、「友達がいない」は言い訳が出来ない。幼少期から形成されてきた全人格を否定されるように思ってしまう。
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若者達の「二級市民」化は進んできている。「夢」とか「やりがい」という言葉で適当に誤魔化しておけば、若者が安く、クビにしやすい労働力だってことは周知の事実だ。
緩やかな階級社会へ姿を変えていくだろう。
Googleは「Googleで何を検索したらいいか」までは教えてくれない。提示される膨大な検索結果の中から自分で「正しい」情報を選ばないとならない。
そのうち、Googleから検索ウィンドウが消える日が来るかもしれない。過去の自分の行動履歴を元に、あらゆる情報はリコメンドされる。Amazonは、本の読むべき箇所までを推薦してくれるかもしれない。
一部のエリートは難解なNHKニュースを見続けるかもしれないが、多くの人はリコメンドされるままに「合コンで印象に残る自己紹介パターン」などのニュースを見続ける。
もうここまで来たら、江戸時代とあまり変わりが無い
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現代の情報社会に生きていると、情報革命が起こった初期の頃は、「ネット革命によって全ての人へ可能性がひらけた」とか、「生まれ持った経済性などの格差を取り除く可能性が生まれた」などと思われていたが、慣れてくるとそのツールをどう使いこなせるかによって、より格差を助長する役割を果たしてしまうものだと誰もが理解し始めた。
恐らく著者は、現代の日本の若者を見ていくにつれた、結局はそれも現代の社会の一現象に過ぎず、結局は世界全体で起こっている二極化の現象に他ならず、「緩やかな階級社会へ姿を変えていく」世界の中で、若者自らが「二級市民」化しているということを自覚せず、それでも「そこそこ幸せな終わりなき日常」を生きていることを指摘したいのだと次の言葉から読み取る。
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「日本」にこだわるのか、世界中どこでも生きていけるような自分になるのか、難しいことは考えずにとりあえず毎日を過ごしていくのか
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本来ならば、「日本」にこだわりながらも、世界中のどこでも生きていけるような職能を身につけて、常にその職能を向上させる日常を生きる事が出来る人か、それとも上記に示されたような「二級市民」化して終わる事なき若者として生きていくのか。
牙を剥いたグローバル資本主義世界が我々に突きつけているのはそれほど厳しい現実だと言う事だろう。
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目次
はじめに
第一章 「若者」の誕生と終焉
1 「若者」って誰だろう?
2 若者論前夜
3 焼け野原からの若者論
4 「一億総中流」と「若者」の誕生
5 そして若者論は続く
第二章 ムラムラする若者たち
1 「内向き」な若者たち
2 社会貢献したい若者たち
3 ガラパゴスな若者たち
4 モノを買わない若者たち
5 「幸せ」な日本の若者たち
6 村々する若者たち
第三章 崩壊する「日本」?
1 ワールドカップ限定国家
2 ナショナリズムという魔法
3 「日本」なんていらない
第四章 「日本」のために立ち上がる若者たち
1 行楽日和に掲げる日の丸
2 お祭り気分のデモ
3 僕たちはいつ立ち上がるのか?
4 革命では変わらない「社会」
第五章 東日本大震災と「想定内」の若者たち
1 ニホンブーム
2 反原発というお祭りの中で
3 災害ディストピア
第六章 絶望の国の幸福な若者たち
1 絶望の国を生きるということ
2 なんとなく幸せな社会
3 僕たちはどこへ向かうのか?
補 章 佐藤健(二二歳、埼玉県)との対話
あとがき
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