コンサートに足を運ぶことが少しだけ日常の中に入ってきた2013年の秋。
いくつかのコンサートを体験して思わずにいられないのは、音楽家の作り方。こんな現代を代表する大国の首都にあるオペラハウスで演奏するくらいの音楽家というのは、それはそれは業界では大成功。天才と呼ばれながらも努力を辞めなかった人たちばかりだと想像する。
様々なドキュメンタリーや映画で見るように、そんな世界的音楽家になるには、まさに「ファースト・ポジション」のような生活を幼少期から送っているのだろうと想像する。小さい頃から英才教育を受けて、学校教育では受けられない特別なレッスンを受け、地域レベルから国レベル、そして国際レベルへと指導者も変えながら成長していく。
世界がフラットになり、競争者が増えたことは、その競争をより厳しくさせ、開始時点をより小さな頃にさせる。音楽や踊りだけに関わらず、体操や水泳、様々な芸術とスポーツに同じ事が言えるであろう。そして競争が激しくなればなるほど、一流と呼ばれる教育には差異化の為に膨大なお金が必要になる。
つまりその経済的余裕がなければ競争に参加できないか、良い指導者というスペシャル・アイテムを手にする事ができない。「それが不公平か?」と言われると、おそらく人類の歴史上、このような特別なポジションを手に入れるには、多かれ少なかれ同じ事が繰り返されて、ある種の特権者だけがその競争に参加できたのだろうと想像する。
かつてはそれが階級や家柄などで守られていたかもしれないが、それが徐々に取り払われたこの資本主義の世界では、新しい差異化の手段として経済性を採用するのは一番安易な方法であるが、一番効率的なものであるといえるのだろう。
それがいいかどうかは別にして、こうしてステージの真ん中に一人立ち、小さなころから慣れ親しんできたその楽器から、「どうやったらこんな人を感動させる調べが奏でられるのか?」と思うような演奏を聴いていると、やはりこういう芸術的才能は小さい時から特別な教育を施さないと獲得できないものなんだろうと納得してしまう。
その身体を使い、楽器から創り出された音が空間を充満していき、徐々に人々を酔わせていく。その過程を見ていると、それこそ時代によってはある種の魔術師だと思われていたに違いないと思ってしまう。
恐らく芸術家についても同じような事が言えるのではと思う。芸大に入るような人というのは、油絵にしても彫刻にしても、やはり小さいころから親の影響などで特殊な教育を施されてきたという人が多いのではないだろうか。
そこで思わずにいられないのが建築家。果たして建築という極めて理性的でありながら芸術的感覚を必要とする職業においては、上記の音楽家、芸術家、運動選手のような幼少期からの特別な教育が必要、もしくは幼少期からの特別な教育を受けていればその分だけ能力が高くなることは可能であるか?
その答えのヒントになるのが、有名建築家の息子として育った人物で、同じく建築を職業としている人たちが父親同様、もしくはそれ以上の才能を発揮しているかを見ることがいいのかもしれない。少なくとも普通に生活していたらなかなか接する事のない建築家という職業。そのために父親という存在を近くで見ながら育つ事は、必然的により深い理解を身体の中に入れながら成長する事と同義であろう。
世界中を眺めてみても、どうも二世で成功した建築家は少ないように思われる。もしくは建築家としての生活を見ながら育つと、それと同じ道に進むのは嫌だと別の世界に行く人が多いのだろうと思うし、親もまたそう願う事が多いのだろう。
そもそも根本的な前提が違っていて、芸術家や音楽家の様に、親がなって欲しいと期待する職業に建築家が入っていないために、その様な特殊教育を受けさせるシステムが発展していないとも考えられる。それはイコールで、音楽家や芸術家のように社会的ステータスと経済的成功を獲得できる位置に建築家がいなく、成功や名声を求める親達にとっても魅力がないということか。
それとも違い、建築という社会に深く関わる職業であるからこそ、小さいころから将来を定め、ある一つの目的の為に盲目的に突き進む事は返ってその職業的視点を狭めてしまうことになるということかもしれない。
まぁとにかく世界的な音楽家を作るには、幼少期からそれなりの育て方が必要であるように、もし感性の豊かな建築家を育てるのなら小さな時にどんな事が必要であろうかと考えてみる。プリツカー賞受賞建築家である伊東豊雄が主宰するようなものがそれにあたるのだろうか?
恐らくそれよりも、日本全国に散らばる長い歴史を持った寺社仏閣を丁寧に見て周り、そこで何かを感じる事を育む事の方がよっぽど建築家として場所を読み解く力に繋がると思う。
まぁとにかく、建築家なんて育てられてなっても恐らく長続きはしない職業であって、自ら覚悟をもってでしか長い建築家人生を全うできないんだととりあえず納得する事にする。
いくつかのコンサートを体験して思わずにいられないのは、音楽家の作り方。こんな現代を代表する大国の首都にあるオペラハウスで演奏するくらいの音楽家というのは、それはそれは業界では大成功。天才と呼ばれながらも努力を辞めなかった人たちばかりだと想像する。
様々なドキュメンタリーや映画で見るように、そんな世界的音楽家になるには、まさに「ファースト・ポジション」のような生活を幼少期から送っているのだろうと想像する。小さい頃から英才教育を受けて、学校教育では受けられない特別なレッスンを受け、地域レベルから国レベル、そして国際レベルへと指導者も変えながら成長していく。
世界がフラットになり、競争者が増えたことは、その競争をより厳しくさせ、開始時点をより小さな頃にさせる。音楽や踊りだけに関わらず、体操や水泳、様々な芸術とスポーツに同じ事が言えるであろう。そして競争が激しくなればなるほど、一流と呼ばれる教育には差異化の為に膨大なお金が必要になる。
つまりその経済的余裕がなければ競争に参加できないか、良い指導者というスペシャル・アイテムを手にする事ができない。「それが不公平か?」と言われると、おそらく人類の歴史上、このような特別なポジションを手に入れるには、多かれ少なかれ同じ事が繰り返されて、ある種の特権者だけがその競争に参加できたのだろうと想像する。
かつてはそれが階級や家柄などで守られていたかもしれないが、それが徐々に取り払われたこの資本主義の世界では、新しい差異化の手段として経済性を採用するのは一番安易な方法であるが、一番効率的なものであるといえるのだろう。
それがいいかどうかは別にして、こうしてステージの真ん中に一人立ち、小さなころから慣れ親しんできたその楽器から、「どうやったらこんな人を感動させる調べが奏でられるのか?」と思うような演奏を聴いていると、やはりこういう芸術的才能は小さい時から特別な教育を施さないと獲得できないものなんだろうと納得してしまう。
その身体を使い、楽器から創り出された音が空間を充満していき、徐々に人々を酔わせていく。その過程を見ていると、それこそ時代によってはある種の魔術師だと思われていたに違いないと思ってしまう。
恐らく芸術家についても同じような事が言えるのではと思う。芸大に入るような人というのは、油絵にしても彫刻にしても、やはり小さいころから親の影響などで特殊な教育を施されてきたという人が多いのではないだろうか。
そこで思わずにいられないのが建築家。果たして建築という極めて理性的でありながら芸術的感覚を必要とする職業においては、上記の音楽家、芸術家、運動選手のような幼少期からの特別な教育が必要、もしくは幼少期からの特別な教育を受けていればその分だけ能力が高くなることは可能であるか?
その答えのヒントになるのが、有名建築家の息子として育った人物で、同じく建築を職業としている人たちが父親同様、もしくはそれ以上の才能を発揮しているかを見ることがいいのかもしれない。少なくとも普通に生活していたらなかなか接する事のない建築家という職業。そのために父親という存在を近くで見ながら育つ事は、必然的により深い理解を身体の中に入れながら成長する事と同義であろう。
世界中を眺めてみても、どうも二世で成功した建築家は少ないように思われる。もしくは建築家としての生活を見ながら育つと、それと同じ道に進むのは嫌だと別の世界に行く人が多いのだろうと思うし、親もまたそう願う事が多いのだろう。
そもそも根本的な前提が違っていて、芸術家や音楽家の様に、親がなって欲しいと期待する職業に建築家が入っていないために、その様な特殊教育を受けさせるシステムが発展していないとも考えられる。それはイコールで、音楽家や芸術家のように社会的ステータスと経済的成功を獲得できる位置に建築家がいなく、成功や名声を求める親達にとっても魅力がないということか。
それとも違い、建築という社会に深く関わる職業であるからこそ、小さいころから将来を定め、ある一つの目的の為に盲目的に突き進む事は返ってその職業的視点を狭めてしまうことになるということかもしれない。
まぁとにかく世界的な音楽家を作るには、幼少期からそれなりの育て方が必要であるように、もし感性の豊かな建築家を育てるのなら小さな時にどんな事が必要であろうかと考えてみる。プリツカー賞受賞建築家である伊東豊雄が主宰するようなものがそれにあたるのだろうか?
恐らくそれよりも、日本全国に散らばる長い歴史を持った寺社仏閣を丁寧に見て周り、そこで何かを感じる事を育む事の方がよっぽど建築家として場所を読み解く力に繋がると思う。
まぁとにかく、建築家なんて育てられてなっても恐らく長続きはしない職業であって、自ら覚悟をもってでしか長い建築家人生を全うできないんだととりあえず納得する事にする。
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