何かを思いついてメモを取ろうと思ってグーグル・カレンダーを開く。その瞬間にカレンダーに表示されている他の項目が目に入り、それを数秒考える。
すると、何を打ち込もうとしていたか忘れてしまい、思い出そうとするが全然思い出せない。
「そんなはずはないだろう・・・」
と少々おかしくなりながら考えるが、まったく出てこない。こういう時の焦りと恐怖は本当に嫌なものである。
どうしようも無いので、放っておく。
暫くするとたまにではあるが、ふっと思い出す時がある。まさに「アハッ」体験。しかし、それは非常に稀なケース。恐らく70%ほどは、記憶の彼方に忘れ去れ、一生思い出されること無く生きていくのだと思うと、怖いと思わずにいられない。
確かに生きていく上でどうしても必要な情報や考えでは無いのだから忘れてしまうのだろうが、そういう「必要でないもの」にこそ、豊かさや意味が多く含まれているのだろうとこの歳にもなると分かってくるものである。
そういう自分が感じた「価値」を忘れてしまうことなく、途中で余計なことを考えることなくとにかくメモとして外部化し、いつか分からないがそれが他の「価値」と化学反応を起こす可能性を残しておくこと。それだけが「忘れる生物」としての自らに対抗しうるせめてもの方策かと改めて思う年の暮れ。
すると、何を打ち込もうとしていたか忘れてしまい、思い出そうとするが全然思い出せない。
「そんなはずはないだろう・・・」
と少々おかしくなりながら考えるが、まったく出てこない。こういう時の焦りと恐怖は本当に嫌なものである。
どうしようも無いので、放っておく。
暫くするとたまにではあるが、ふっと思い出す時がある。まさに「アハッ」体験。しかし、それは非常に稀なケース。恐らく70%ほどは、記憶の彼方に忘れ去れ、一生思い出されること無く生きていくのだと思うと、怖いと思わずにいられない。
確かに生きていく上でどうしても必要な情報や考えでは無いのだから忘れてしまうのだろうが、そういう「必要でないもの」にこそ、豊かさや意味が多く含まれているのだろうとこの歳にもなると分かってくるものである。
そういう自分が感じた「価値」を忘れてしまうことなく、途中で余計なことを考えることなくとにかくメモとして外部化し、いつか分からないがそれが他の「価値」と化学反応を起こす可能性を残しておくこと。それだけが「忘れる生物」としての自らに対抗しうるせめてもの方策かと改めて思う年の暮れ。
0 件のコメント:
コメントを投稿