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Programme
Fireworks, Op. 4
Card Game
Concerto for Two Pianos
——Intermission——
Firebird
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いつもどおりに妻とメンターご夫妻と一緒に行くのだが、今回は妻の分のチケットを購入するのが遅れて、離れ離れの席になる。一番お手頃なチケットが既に売り切れ済みで、一つ上のランクの席を購入すると二階席の右手、オーケストラを上から見下ろす形になるシートを購入する。
以前購入していたチケットはオーケストラを後ろから眺めるシートとなり、近くて識者なども良く見えるから素人には良いように思えるが、音響的には方向が逆になりあまり楽しめない場所だという。
そんな訳でまず自分が2階席、妻が1階のオーケストラの後ろに陣取る事にする。普段は後ろの一番上の席の一番お手頃な席を取ることが多いので、どうしても正面のかなり遠い距離からオーケストラを見るのだが、こうして上から表情も分かるほどの距離で見ていると、今までとは違った楽しみ方ができるのだと理解する。
上から見ると良く分かるそれぞれの楽器がどれだけの人数がいて、二人で一つの楽譜を共有して、からなず一人がページをめくっていくだとか、結構自分が参加しない時間が多い奏者は楽器の手入れなど、いろいろと動いているのだというのを見て、やはりこの人たちも人間なんだとなんだか不思議な思いを持ちながら演奏を楽しむ。
本日のコンサートは、メンターが「これは素晴らしいから!」と力をこめて推薦してくれるように、かなりトピック盛りだくさんの様である。まずは何と言ってもストラヴィンスキー。
イーゴリ・ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky,1882年 - 1971年)は、ロシアの作曲家で、20世紀を代表する作曲家の一人であるという。ストラヴィンスキーと名前は聞いたことがあるが、時に高価なヴァイオリンの名前とごっちゃになりそうだが、改めて海馬に植えつける事にする。
非常に長期に渡り活躍したというだけあって、ロシアで活動を始め、その後あまりに前衛的な作風の為に台頭してきたナチスに目をつけられたため、アメリカに亡命しハーバード大学などでも教鞭をとるなど、当時の世界的知識人の一人であったことが伺える。
生涯を通して原始主義、新古典主義、セリー主義と作風を変えつつも、一曲聞くだけで理解できるように相当な前衛的な作品を残したようである。中でも初期の3つの作品、『火の鳥』、『ペトルーシュカ』、『春の祭典』は有名で、その中でも『春の祭典』は20世紀最高傑作と呼ばれているようである。プログラムを調べると今日は『火の鳥』、明日は『春の祭典』ということで、少々残念に思いながら、まずは体験することからだと心を切り替える。
今回は世界最高峰の指揮者がロシアトップクラスのオーケストラを率いて、ロシアが生んだ世界的作曲者であるストラヴィンスキーの曲を3日間に渡って演奏するという壮大な
Stravinsky Festival。そのロシア尽くしが良く理解できるように、会場のあちこちでロシア人らしき人たちの姿を目にする事ができた。
さて続いては、指揮者のヴァレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev, 1953年 - )。現代ロシアを代表する指揮者の一人らしく、とにかくメンターが「この指揮者は世界最高レベルの一人だ」と熱弁している姿から恐らく凄い人なんだろうと理解することができる。
彼に率いられているのはマリインスキー劇場管弦楽団(Mariinsky Theatre Orchestra)。ゲルギエフが若く35歳の時に芸術監督に就任したキーロフ劇場から発展した楽団で、サンクトペテルブルクにあるマリインスキー劇場付属のオーケストラであり、ロシアを代表するオーケストラの一つだという。ゲルギエフの指導の下、世界的な名声を得るまでに発展したそうである。
もう一人重要な登場人物である、ピアノのアレクサンドル・トラーゼ(Alexandr Toradze, 1952年 - )。旧ソビエト連邦のグルジア出身のピアニストらしく、その後はアメリカへと活躍の場を移動させるが、とにかくロシアを代表するピアニストらしい。
これらが本日の基本情報で、オーケストラに引き続いて入ってくる指揮者のゲルギエフは如何にもこの世界で何十年もトップをはって戦ってきた雰囲気を身体中から発散させながら中々の雰囲気のある容貌。演奏を始めようとするが「指揮棒を持たずに指揮するのかな?」と思ってよく見ると、爪楊枝のような何とも可愛らしい短い指揮棒を持っている。しかも両手が「何かの薬でもやっているのか?」と思ってしまうほど細かく震えながらタクトを振っていくとても個性的な指揮者。
曲の始まりから今まで体験してきたオーケストラのような、「あ、日本のCMで聞いたことがある・・・」という心地の良い甘ったるく、脳の中でアルファ波が溢れるような心地よさは無く、一発で「さぞや前衛的だったんだろうな・・・」と思えるような不協和音ともいえるような曲の進行。
それでも、「これがストラヴィンスキーか・・・」と有りがたく思いながら聞いていくが、二曲目に入ると時々びっくりさせるように激しく鳴らされるドラムの音などですっかり身体中が緊張してしまう。
その影響もあるのかしれないが、二階席から見下ろしながら演奏を聴いていくと、この「マインド・コントロールにも使えるのでは?」という調べに身体を浸していると、「フラフラ」と目の前の手すりを乗り越えて下に落下していく姿を想像してしまい、その想像を頭の中から搾り出す事ができずに余計に身体が緊張してしまう。
「これは幕間で妻と席を替わってもらわないと・・・」と思って階下の妻の姿を目で追うと、感動しているのか口元を手で覆いながら指揮者を凝視する妻の姿。確かにこの音楽は身体をダラリと弛緩させて聞き入るようなものではないなと思いながらも、「早く幕間が来てくれ」と願いながら演奏を聞き入る。
やっとのことで幕間になり身体の緊張を示すかのようにトイレに向かって出てくると、どうにも見たことのある顔が。オフィスがロシアはモスクワのとても大きなコンペにショートリストされ、この数週間力を入れて進めているコンペがあるのだが、ロシアから来ているインターンの女の子もそのチームに参加していて、その彼女が今日のコンサートにも足を運んでいたようである。
「あれ、ストラヴィンスキー?」と声をかけると、そうだという。「ストラヴィンスキーはロシア人に好かれているの?」と聞いてみると、丁度妻もトイレにやってきたので、インターンの女の子と分かれて妻と一緒にメンター夫妻に合いに行く事にする。
メンター夫妻に「これっていいんですか?相当からだと緊張させるような調べで何とも楽しめないんですけど・・・」と聞いてみると、奥さんも同じような感想を述べていた。まぁ後半に期待しようということで妻に聞いてみると、「口を押さえていたのは隣の席の男性が、あまりにガーリック臭く、体中から発せられるその臭いにとてもじゃないが耐え切れないんだ」という。こちらは高さに参ってしまい、あちらはガーリックに参っているとは、なんとも似たもの夫婦だと思いながら、荷物を置いてきてしまったので席を替わることができずになんとかお互いに後半を乗り切ろうという事で席に戻る事に。
前半の3曲目から登場したピアニスト・トラーゼも幕間と一緒に引っ込んで、通常のオーケストラとして後半は『火の鳥』一曲のみ。さすが名曲といわれるだけあって、前半とは変わって随分楽しめることができた。所々で各楽器がリズムを変える様にしながらも有る場所ではきっちり一つの線になって戻って来る。ストラヴィンスキーが追い求めたポリスタイリズム(多様式)的な感覚というのが少しだけ理解できる気がする。
そんな調べを楽しみながら、先ほどバッタリあったロシアから来ているインターンについて思いを馳せる。大学時代に、自らの意思で世界中の建築事務所から一つを選び、こんな大気汚染にまみれた北京の地までやって来て、毎日設計の現場で実務が何かを学んでいる。それだけでも自分の学生時代には考えもしなかったと思うのだが、時間を見つけて、自分で情報を見つけて、自分の国・ロシア音楽界のスター達がやってくるコンサート・チケットを手に入れ、週末の夜にオペラハウスへと足を運ぶ。
これは相当に文化レベルの高い育ち方、家庭の教育を受けてきたのだろうと勝手に想像する。自分が学生だった頃に、そういうことを少しでも考える想像力があったらだろうかと思うと何とも恥ずかしい想いばかりである。中年に差し掛かってやっと、舞台芸術が面白いと感じられるようになって今だからこそ、彼女達の育った環境が如何に素晴らしいかが理解できる。
また、こういうことをきっかけでオフィスの中でプロジェクト以外に会話の糸口ができること、それを通して自分がよりロシアという国を理解する事ができる事は非常に嬉しい事だと思わずにいられない。
コンサートを終えて、メンターの感想を聞くと、やはり後半は凄く良かったと言っていた。妻と一緒に寒い北京の夜の電動スクーターで走りながら、そろそろ毛嫌いしていたロシア文学を手にしないといけない年齢に入ってきたんだなと思いを馳せながら家の棚に眠っているトルストイなどに思いを巡らす。
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