2012年12月17日月曜日

「デフレの正体 経済は「人口の波」で動く」 藻谷浩介 角川oneテーマ21 2010 ★★★



最近随分テレビなどでも顔を見るようになって来た著者だが、日本の地方を歩き回り、実際その目で疲弊する地方都市を見てきただけあって、現状認識にブレが無く、しっかりとしたデータによる原因分析のために、根本的な問題のあぶり出しも明確で、誰にでもバランスを取るような曖昧な表現をとらずに、バッサバッサと皆が心で思っていることをちゃんと文章に纏めてくれている。

次期首相が突っつくのに反応するように日銀が発表した「大規模な金融緩和」という言葉に、なんだかそんなことじゃないと書いてあったような・・・?と読みかけでほったらかしてあった一冊に手を伸ばす。

天災相手でも、日々の仕事でも同じだが、原因が何なのか分からなければ、明日をも知れないほど不安になるのは当然で、それはほかっておいても取り除けないのであれば、より良い明日を過ごすためにも、なんとかその原因を取り除こうとするのが理性ある人間の行動であろう。原因さえ分かれば、取るべき行動も必然的に明白になってくる。

それを元に現在の日本を見てみると、誰も彼もが「景気が悪い」、「金融緩和が必要が」と状況だけを見て、対処法だけを語ってその原因を見ていない。「なぜ、景気が悪くなったのか?」という命題の奥に隠された21世紀日本の特殊解は「人口の波が、日本経済を洗っている」ことである。

経済関係の本にしては、一枚また一枚と世間の誤認を剥がしては冤罪の罪を突きつけられた諸現象を解放し、真の犯人に辿り着く。そんな印象を与えてくれる一冊。しかも、言いっ放しのダメ本とは違い、理論に沿った解決法、そして非難を浴びることを覚悟での個人の意見も明確に述べており、非常に好感の持てる内容で、バカ売れしたのも納得。

物語の始まりは疲弊した地方のある町の駅前。そこに著者が見るのは日本の今。決して立地も悪くも無い地方都市の中心駅の駅前。かつてあったはずの賑わいは見る姿も無く、そこにあるのは消費者金融の大きな看板だけ。誰もが問題だと思いながらも、100年間誰も何もしてなかったのが生み出した風景。

なぜ?それは、駅前の地権者が十分に豊かで、別段何もする必要を感じていなかったからであり、行政も問題意識を抱えていても、地権者の権利という壁に阻まれつつ、そして格段それ以上つっこんで面倒に巻き込まれなくても、自分は決して困ることも仕事がなくなることも、給料が下がることも無いのでいいやという姿勢。その末に、郊外に立ち並ぶ巨大スーパーマーケットに人の流れを吸い取られ、人影の無くなった駅前の風景はあっという間に寂れていった。秋に黄金色に輝く田園風景と同じくらいに、どこにでもある「今の日本の風景」。

その犯人は「自分は家賃収入がある限り困らないので、貸してくれといってくる先が、飲食店だろうが、商店だろうが、金貸し金融だろうが別に関係ないや」という、「たまたま」親世代が土地という神器を持っていた為にその位置におさまることになった、思考停止状態の地権者達。

ローカルからグローバルに視点を移し、「景気が悪い」という「感覚」が実際どのような数字に現れているか?というのを確認する為に、日本はどの国から儲けてどうの国に貢いているのかを見ると、アメリカ、中国などのほとんどの国相手には十分な黒字を出しており、国際経済競争の立場から見れば十分に日本は勝者であるとする。唯一的に赤字を計上するのはフランス、イタリア、スイスという自国製の高級ブランド品を作り出す国々。どんだけ頑張って稼いでも、女性の服やバッグなどへの物欲には到底叶わないということか。

そこから見えてくる日本のあるべき将来は、発展途上国として安く多く生産するのはもう隣の国に勝てないわけだから、如何にクオリティーとデザインとブランド力を獲得できるか?にシフトしていくべきであるとする。パリの街並みよりも資産価値の高い中低層の街並みを東京や大阪につくれるか?100年後も200年後も文化価値を放ち続け商業を引き寄せる都市インフラを創出できるか?が問題であるとする。

外から稼いでいるのに、何で「景気が悪いのか?」に再度目を向けると、そこに見えてくるのは、「内需の縮小」こそ日本経済が直面する恐るべき病気という事実。そしてすべての経済指標に現れる1996-1998年のピークとその後の明らかな減少現象。その原因として槍玉に挙げられるのが、いわゆる「地域間格差」だが、本当の原因はもっと大きな「現役世代の減少」と「高齢者の激増」の同時進行。

「団塊世代の大量定年」に湧き上がるここ数年に代表されるように、所得はあっても消費しない高齢者が激増し、彼らは歴史上最も多い世代人口という背景を元に、日本の経済社会で最も大規模のマーケティング・ターゲットという恩恵を受けて、消費を繰り返すがそれ以上に蓄えることが可能であった時代に適正価格以上に個人所得を得ながらも、今度は退職した後もまだまだ生きるぞというあくなき欲望を成し遂げる為に、将来のリスクに備えて、「金融資産を保全しておかなければならない」という脅迫観念に襲われる。それは「将来の医療福祉関連支出の先買い」の購入へと繋がり、流動性は0%の死蔵資産として経済指標の奥底に眠ることと成る。それが個人所得とモノ消費が切断された絶対の理由。

親の数の2倍以上もいる団塊世代はその半数以上が親から自宅を相続できない立場であったため、首都圏や関西圏に出てきては、マイホームの確保を人生の最大の課題として働いた為に、空前の住宅ブームが巻き起こる。団塊世代が住宅を買い終われば需要は消えるはずだが、せっかくできたマーケットを消したくない建設業界の思惑にメディアが乗っかる形で、作り出した実体無き住宅バブル。

増え続けるために支えられてきた人口ボーナスが95年ごろに尽き、以降は新規学卒者<定年退職者となる「人口オーナス」の時代に突入する。そして年々減少する生産年齢人口。それに伴い、必然的にどんな手を打っても内需の縮小は止まらない。

互いにお金を使いあうことで経済は元気になるはずが、低下する景気のせいで、人件費以下地元に落ちるコストをとことん削って、目の前の四半期の自社の利益だけを高くしようと努力する企業。冷え込む世間の空気を敏感に察知し、「自分だけは困らないように・・・」と美徳の様に溜め込むだけの高齢者の数は増加の一途をたどるだけ。

では、どうしたらいいのか?

個人消費が生産年齢人口減少によって下振れしてしまい、企業業績が悪化して更に勤労者の所得が減って個人消費が減るという悪循環を、何とか断ち切るためにはどうしたらいいのか?

その為には
①生産年齢人口が減るペースを少しでも弱める
②生産年齢人口に該当する世代の個人所得の総額を維持し増やす
③個人消費の総額を維持し増やす
という。

中国でも製造できるものの日本国内での値段が、国際的に標準的な価格に向けて下がっていくのは当然であり、国際適正価格への波はどう偽っても防ぎきれない。なぜなら貨幣経済に国境は無いからである。

それよりも今日の日本の問題は、外貨を獲得することではなくて、獲得した外貨を国内でまわす事だという。

そのために具体的には誰が何をするべきなのか?

第一は高齢富裕層から若い世代変所得移転の促進、
第二が女性就労の促進と女性経営者の増加、
第三に訪日外国人観光客、短期定住客の増加。

第一の高齢富裕層から若い世代変所得移転の促進では、生産年齢人口が三割減になるなら、現役世代である彼らの一人当たりの所得を1.4倍に増やせばいいという単純計算が成立しない経済世界であるならば、日本の金融資産1400兆円の多くを死蔵させている高齢富裕層に対して、「オマエも市場経済の中できちんと競争して役割を果たせ」と突きつける。

どうせ墓の中までは持っていけない資産なのだから、この世に居る間に使ってもらい、それ以上貯めることに喜びを感じないように、しっかりと消費につながるような、節約よりも大きな購入への言い訳を用意してやること。

現在の相続の平均年齢は年金需給年齢に入っている67歳。すでに引退し、子育てはとっくの昔に終了し、一生の中で本当に必要な時期とは大きく離れた時期に相続するという現実はまったくのナンセンスであり、一番必要な子育て時代に譲り、世の中に回すためにも生前贈与の可能性を説く。ただし、子供世代に対しては親の収入にまったく無関係に機会均等が保証されている社会基盤が第一であり、逆に言えば親が金持ちでもそれだけで有利にはならないことが必要だとする。

第二の女性就労の促進と女性経営者の増加では、先日のIMFの提言とまったく一緒だが、日本に埋もれている非労働人口の中でも最もポテンシャルが大きく、海外の国では当然の様に社会で有効活用されている女性の存在。いまどきダブルインカムでないと、子供を3人以上持つということはなかなか難しい現実の中、それでも多くの高学歴で仕事の経験も豊富な女性が専業主婦として社会で報酬を得ないことが、個別の家庭の家計も逼迫させるが、同時に社会全体の内需も縮小させる原因にもなっている。子供をもつ女性が働きやすい環境を作ることは官民共に緊急の課題である。

第三の訪日外国人観光客、短期定住客の増加では、どんな時代になってもローマやパリ、ロンドンやNYに訪れてはなんだかんだで現地で消費をしてくる我々の姿と同じような外国人を惹きつけて、呼び寄せるような魅力ある日本をつくることだとする。

最後には補講として高齢者の激増に対処するための「船中八策」を論じている。激増する高齢者に対応してどのように医療福祉や生活の安定を維持していくのか?その為には、普通に暮らしていけるだけの蓄えのある人(高齢者)の生活支援には政府の資金を回さないこと。それほどの能力がないのに地位を得る人間の増えることは、いっそう社会に害悪をなす為に、真の意味での生きる力がない人にはそれ相応の地位に留まってもらう。

そして、普通に子育てをできるだけの収入がある世帯は、人間として生物として、誇りを持って独力で子育てをしてもらい、お年寄りの面倒を若者から徴収した金銭で見るという戦後半世紀固守されてきた方式を、今世紀にはあらゆる分野で放棄するしかないとし、年金から「生年別共済」への切り替えを提案する。すでに年金を支払った高齢者には、納入額に一定の利子をつけて各人に払い戻し、今後はお年寄りの面倒はお年寄りから徴収した金銭でみるようにしていく。

医療福祉分野も同様に、かつての住宅状況の様に、個人の生存権を十分に満足させる水準である団地などの国の提供する住宅を用意し、それは格別に「快適」であるとはいえない水準に留め、それよりも更に上の快適性を求める人には、自分のお金でどんどんそれを追求させたように、医療福祉も同じく、最低十分ラインを目指すような方向にし、それより上を望む人は自分でやってくれという。しかし、どの医療制度に従っても、平均寿命は同じであるということを目指さなければいけない。

おわりに「多様な個性のコンパクトシティたちと美しい田園が織り成す日本」では、生産年齢人口が3-4割減った後の国土の姿はどうなっているのか考える。都市開発地域拡大、容積率上昇・土地神話といったものはすべて崩壊し、中途半端な校外開発地は田園や林野に戻すこと(コンパクトシティ化)が必要で、個性を持った都市景観の復活こそが必須の課題。

生産年齢人口=土地利用者の減少に伴う地価の著しい下落、土地を保有するだけ利益を得てきた世代の死去に伴い、不動産取引はずっと流動化し、土地ではなく、建物の生む収益による不動産評価手法の定着、ごね得地権者の消滅による非耐震建築物建て替えの迅速化が訪れ、社会の中で文化やデザインの占める地位が年々高くなっていくことが想像されるとする。

つまりはこの国土に対して、異常なほどの人口が現れた有史以来初の異常事態であった戦後日本は、一つのサイクルを終了し、国土に適した密度であるべき人口、1億を切る数に向けて収束していく今後の20年。シュリンキング・ジャパンへと突入していく。

現在の社会基盤は異常事態の中の異常過密層である団塊世代を中心に構成されてきてしまっているために、富も恩恵もすべてそこに集中し、誰もが気がつかないうちに冒頭の地方都市の地権者の様になっている現在。今の20代、30代はその社会が新しい構造に推移していくなかで、なんら恩恵を受けることなく、搾取され続けながら、上の世代を支えるために歯を食いしばりながらも文句を言われ、それでも自分たちの子供世代の為に足を止めることも出来ずにまた一歩踏み出すように、歴史上相当過酷な時間を過ごすことは誰の目にも明らかである。

しかしこの本が示すように、いくら景気が良くて、誰もが儲かっている時にでも、その事態を正確に把握し、世界の実態とのミスマッチが無いかを分析し、社会のあるべき姿、子供達の世界のあるべき姿を想像し、その為に必要なことは苦しいことでも自ら進んでやることができるかどうか?それをしてこなかった、それに目を向けなかった世代がその次の苦難の時代で、どのような扱いをうけるか?ということを少なくともよく知った今の現役世代が、同じ轍を踏まないように、今から何ができるか?を問いている一冊に見えてしょうがない。


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第1講:思い込みの殻にヒビを入れよう
/景気判断を健康判断と較べてみると
/ある町の駅前に表れた日本のいま

第2講:国際経済競争の勝者・日本
/世界同時不況なのに減らない日本人の金融資産
/バブル崩壊後に倍増した日本の輸出
/世界同時不況下でも続く貿易黒字
/世界中から莫大な金利配当を稼ぐ日本
/中国が栄えれば栄えるほど儲かる日本
/中国に先じて発展した韓国・台湾こそ日本の大得意先
/フランス、イタリア、スイスに勝てるか

第3講:国際競争とは無関係に進む内需の不振
/「戦後最長の好景気」の下で減り始めた国内新車販売台数
/小売販売額はもちろん、国内輸送量は一人当たり水道使用量まで減少する日本
/なぜ「前年同期比」ばかりで絶対数を見ないのか

第4講:首都圏のジリ貧に気づかない「地域間格差」論の無意味
/苦しむ地方の例・・・個人所得低下・売上低落の青森県
/「小売販売額」と「個人所得」で見える「失われた10年」のウソ
/「地方の衰退」=「首都圏の成長」とはなっていない日本の現実
/「東京都心部は元気」という大ウソ/名古屋でも不振を極めるモノ消費
/地域間格差に逆行する関西の凋落と沖縄の成長
/地域間格差ではなく日本中が内需不振

第5講:地方も大都市も等しく襲う「現役世代の減少」と「高齢者の激増」
/苦しむ地方圏を襲う「二千年に一度」の現役世代減少
/人口が流入する首都圏でも進む「現役世代の減少」
/所得はあっても消費しない高齢者が首都圏で激増
/日本最大の現役減少地帯・大阪と高齢者増加地帯・首都圏
/「地域間格差」ではなく「日本人の加齢」
/団塊世代の加齢がもたらす高齢者のさらなる急増

第6講:「人口の波」が語る日本の過去半世紀、今後半世紀
/戦後のベビーブーマーが15年後に生んだ「生産年齢人口の波」
/高度成長期に始まる出生数の減少
/住宅バブルを生んだ団塊世代の持ち家取得
/「就職氷河期」も「生産年齢人口の波」の産物
/「生産年齢人口の波」が決める就業者数の増減
/「好景気下での内需縮小」が延々と続く

第7講:「人口減少は生産性上昇で補える」という思い込みが対処を遅らせる
/「生産性」と「付加価値額」の定義を知っていますか?
/生産年齢人口減少→付加価値額の減少を、原理的に補いきれない生産性向上
/「生産性向上」努力がGDPのさらなる縮小を招く
/簡単には進まない供給側の調整
/高齢者から高齢者への相続で死蔵され続ける貯蓄
/内需がなければ国内投資は腐る/三面等価式の呪縛
/「国民総時間」の制約を破ることは可能なのか?

第8講:声高に叫ばれるピントのずれた処方箋たち
/「経済成長こそ解決策」という主張が「対策したフリ」を招く
/「内需拡大」を「経済成長」と言い間違えて要求するアメリカのピンボケ
/マクロ政策では実現不可能な「インフレ誘導」と「デフレ退治」
/「日本の生き残りはモノづくりの技術革新にかかっている」という美しき誤解
/「出生率上昇」では生産年齢人口減少は止まらない
/「外国人労働者受け入れ」は事態を解決しない
/アジア全体で始まる生産年齢減少に備えよう

第9講:ではどうすればいいのか1 高齢富裕層から若者への所得移転を
/若い世代の所得を頭数の減少に応じてあげる「所得1.4倍増政策」
/団塊世代の退職で浮く人件費を若者の給料に回そう
/若者の所得増加維持は「エコ」への配慮と同じ
/「言い訳」付与と「値上げのためのコストダウン」で高齢者市場を開拓
/生前贈与促進で高齢富裕層から若い世代への所得移転を実現

第10講:ではどうすればいいのか2 女性の就労と経営参加を当たり前に
/現役世代の専業主婦の4割が働くだけで団塊世代の退職は補える
/若い女性の就労率が高い県ほど出生率も高い

第11講:ではどうすればいいのか3 労働者ではなく外国人観光客・短期定住客の受入を
/高付加価値率で経済に貢献する観光収入
/公的支出の費用対効果が極めて高い外国人観光客誘致

補講:高齢者の激増に対処するための「船中八策」
/高齢化社会における安心・安全の確保は第一に生活保護の充実で
/年金から「生年別共済」への切り替えを
/戦後の住宅供給と同じ考え方で進める医療福祉分野の供給増加

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