2012年12月29日土曜日

クアラルンプール Kuala Lumpur


小さい頃は、「クアラルン・プール」だと疑わなかったので、「クアラ・ルンプール」だと知った時は少々の衝撃だったが、マレーシアでも「KL」と約して使うと聞いて、この気持ちはどこに持っていけばいいのだろうと思いながらマレーシア随一の都市へと着陸。

マレーシアの首都なのだが、人口約160万人ということで神戸市あたりと同じ規模だと考えると、なんとなくスケール感がつかめるが、それから考えると、世界最高の位置に君臨していたペトロナスツインタワーを始め多くの超高層ビルが建ちながる中心部の風景には、やはり一国の首都としての威厳を感じずにいられない。

地元の建築家の友人も、ペトロナスツインタワー建設時はツインタワーということもあり、タワー1を日本のハザマが、タワー2を韓国のサムスンが施工し、競わせることでより良いものができたんだと、笑いを交えながら教えてくれたが、パリにエッフェル塔があり、ロンドンにビッグ・ベンがあるように、KLにはこのペトロナスツインタワーがあるという、都市のイメージとして君臨するまさにアイコニック建築。

結婚式を控えた地元の建築家友達から薦められたホテルは「12歳以下はお断り」という、日本でやったらものすごいクレームが飛んできそうなクールなポリシーを掲げるホテルで、東南アジアにやってきたと感じさせてくれるような空間構成をした、とても心地のよい宿泊施設で、数日の滞在の幸先の良さを感じながら荷物を解く。

バチェラー・パーティー(Bachelor party)ということではないが、新郎新婦の近しい友人で前祝をということで、二人の手配で指定されたバーに向かうが、中心街の高層ビルの一つの屋上で、ペトロナスツインタワーを目の前にしたバー。プールもありで、いかにもこの街の「今」若者が集まりそうな雰囲気。久々の再開の喜びを伝え合い、そしてウィッシュ・リストが分からなかったのでということで、KLで見繕った結婚祝いを手渡し、こういうバーにありがちな如何にもすぐに悪酔いしそうなウイスキー割りをチビチビ飲みながら、香港、北京、東京、シンガポールそしてKLと、二人のこれまでの人生をトレースするような場所から駆けつけた友人たちをそれぞれ紹介されて、ボーダーレスな生き方を再認識する。

が、なんといっても外国独特のものすごい爆音の音楽のために、横にいる妻に話をするのも大声を張り上げなければいけなく、とてもじゃないが初対面の人と話が盛り上がるのは無理。しかも風邪で喉がやられているもので、二人そろって声を失い始めたので、一番手だが先にお暇することに。

朝起きてみると、少し喉の調子が良いようで、一年通して大きく気候の変化がおきない地域だからこそ可能だと思われる空間で遅めの朝食を取り、大きなショッピング・モールが立ち並び、どこのモールにも同じようなブランドのお店が金太郎飴の用に現れる、そんな取ってつけたようではあるが、それでも今一番KLで賑わいを見せて、多くの若者があつまるブキッ・ビンタンのショッピング・モール内のレストランで行われる披露宴に向かう。

昨日は結局3時近くまで飲んでいた・・・という着飾ってきた顔見知りたちと話をしながら、中華系マレーシア人の花嫁と、中華系シンガポール人の新郎ということで、しかもシンガポールでは新郎の親戚と友人を中心に一度披露宴をやってあるので、今回は花嫁中心の披露宴ということで、KLに住む花嫁側の親戚と、小さいころからの仲の良い友人たちに混じって、各国から集まったバラエティ豊かな出席者。

日本では考えられないくらい、「ゆるい」進行に沿いながら、のんびりと4時間くらいかけてすべての料理を味わって、クライマックスは親戚一同が舞台に上がって、みんなで「ヤーーーーン。セン!」と叫びながらの乾杯。長く息を続ければ続けるほど、幸せになれるという、中国の慣習だという。

東京に遊びに来ていたシンガポールで働くタイ人のランドスケープ・アーキテクトとも久々の対面に喜びを伝え、相変わらず「どの本がお勧め?」という質問攻めにタジタジし、OMAで働くという花嫁の従兄弟と今年のビエンナーレのキュレーションの行方について話をし、東京に遊びに来ていた時に何度か遊んだ花嫁の友人たちとも久々の再開を喜び合い、結婚式という幸せが溢れる時間をみなと共有する。

華僑ということもあり、会の主要言語は、客家語か福建語よく分からないが、普通語ではない中国語だったかと思えば、ちょっと特徴のある英語、そしてマレー語が入ったりと、多言語をボーダーレスで行ったりきたり。誰もそれに疑問を持たないようで、単一民族単一言語の日本人の頭は聞いてるだけで煙が出てきそうになるが、昔から人も物も流れる場所に住む人たちにとっては、20世紀の国家の境界線というのはまさに便宜上のもの以外の何者でもなく、当たり前の様に言語の壁を飛び越え、言語の壁が無いからこそ、生きる場所の壁も軽く跳躍していくのだと妙に納得。

それにしても、この国の人は本当に楽しむために生きていると言ってもいいように、ちょっとした会話でもかならず冗談を挟みこんでくるのだが、それが誰も傷つけない感じの良いジョークで、人も社会も自分も切り刻むかのようなブラックなブリティッシュのような暗さが無いので、時間を共有するのがとても心地いい。改めて日本人の人生の楽しみ方の下手さを痛感する。なによりも楽しむことが何よりの上位に来る。その豊かさを2012の終わりに感じることができて改めて感謝。

結婚式が終わって街をブラブラし、まだまだ続くクリスマスの雰囲気に包まれて、賑わいに誰もがウキウキしている雰囲気を共有し、この街のリズムを楽しむ。

大晦日である次の日は、朝から観光だということでペトロナスツインタワーに向かい、その足元にある水族館で、やはり日本の水族館とはちょっと違った演出を楽しみ、夕方からは新郎新婦が手配してくれた住宅街に地位する貸し別荘で、皆でワイワイしながらカウントダウンをするということで、我々も参加するために向かうのだが、昨日はめかし込んでいた女の子たちが今日はラフな格好でマレーシア料理を振舞ってくれる。

北京であったことのある知り合いが来ていて懐かしあったり、日本から来ていた知り合いの彼氏と木彫りについて盛り上がったりと、思い思いの時間を過ごしながら調子に乗ってワインを飲んでいたら、咳止め薬との相性が悪かったのかすっかり足元がおぼつかなくなり、カウントダウンまですっかりダウン。

後30分ほどでというところで起こされて、屋上のテラスに上がってきた皆と一緒にポツポツと上がり始めた花火を見ながらワイワイいってカウントダウン。

「Happy 2013!!」

と、叫んでいると、ずっと地元民だと思っていた飛び跳ねるようにはしゃいでいた女性が、実はこちらに住んでる日本人だということが発覚し、男子に比べてやはり女性はぴょいぴょいとボーダーを簡単に飛び越えて、しかも行き先でちゃんと馴染んで楽しんでいくんだなと、心から感心してしまう。

カウントダウンは終えたが流石に疲労困憊ということで、別れを惜しみながらまたの再会を約束して、すっかりウツラウツラ状態でホテルへと。

元旦の朝はゆっくり寝坊をし、別れを惜しむようにパッキングを終えて南のバスターミナルへ向かって、バスにゆれながら次に向かうは世界遺産の街マラッカ。



































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