2013年11月8日金曜日

見下ろす東京

先日、六本木ヒルズの森美術館に展覧会を見に行った折に、高層ビルから見下ろす東京の街を見て思う。

一体この眼下に広がる街の中に、どれだけの土地が空いていて、どれだけの人がそこに新しい建物を建てようと思うだろうかと。

建築家という職業は、もちろん様々な形が存在する。行政の側に入り、都市計画や規制などを作っていく、言わば建つものの設計に携わらないものもいれば、ディベロッパーの側となり建築家に発注する側となるものもいる。

建物の設計を日常の業務とするものでも、ゼネコンなどで巨大企業が手に入れてくる大プロジェクトに対して、構造、設備、環境などの各分野ごとに設計に関わっていく人もいれば、ハウスメーカーや不動産会社の一員として、パッケージ商品として効率とコストを徹底的に苛め抜き、少しだけお洒落な雰囲気を演出する人もいるだろう。

そしていわゆる世間一般がイメージする建築家の様に、事務所を構え、個人住宅などを主に手がけて、いわゆる「先生」的な生活をするアトリエ事務所と、そこに勤める多くの所員建築家。その規模は数十人という大所帯もあれば、一人二人という小規模のものまで果てしない。

これらの建築家にとって、設計する対象があるというのがまずは存在の大前提となる。どんなに設計が優秀でも、それを発揮する機会がなければ仕事が続かない。どんなに賢い先生でも、事務所を回していく経済概念がなければ設計を続けられない。どこかで、どうにかして、仕事を取ってこないといけないし、その仕事でお施主さんを満足させ、世間に発表できる良い仕事を続けていかなければいけない。

そういう訳で、建築家が仕事も取ってこないといけないのが、このアトリエ事務所の大きな特徴。設計しか学んでこなかった人間が、そんな簡単に営業のスペシャリストになれるわけも無く、ハウスメーカーやゼネコンではもちろんその職責は切り離されている。設計畑は設計だけに時間を情熱を費やす事ができる環境を手に入れる。

建築家にとって、どこかの誰かが家を、建築を建てようと思った時に、その選択肢に自らが乗っていることが仕事への第一条件となる訳だが、その前提の前に、「誰かが建築を建てようと思う事」が必要となる。そして弱肉強食の自由経済の中では、組織の存続の為に大企業も大御所事務所も牙を剥き、獰猛さを剥き出しにしてその仕事を取りに来る。

一つの空き地に群がる建築家達。

市場経済では如何に他社と差異化をなすかが重要となるので、それぞれがどうにか付加価値をつけようとする。ある人は環境建築を謳い、ある人は税制の優遇への知識を旗とし、あるものはコネを使って信頼を得ようとし、あるものは雑誌などに取り上げられている華やかさをアピールし、ある物は長期的なビジネスプランまで作成し、解体から建替えまでをセットとして施主に迫り、既に設計だけの土俵というもの自体をひっくり返す。

そんな獰猛なる市場経済の中にぽつねんと放り出された無垢な建築家。スター建築家制度が蔓延する学校教育の中温室栽培の様に育てられ、いつか自分にもチャンスが巡ってきて、誰もが思いもしなかったアイデアと建築言語で一躍表舞台に踊りだし、自分も学生時代に舐めるように見ていた建築雑誌の紙面を賑わしこの国の風景を変えていく。そんな純粋で穢れの無い若き建築家が、この荒廃した東京の大地に放り出されているのを想像する。

土地の数だけ建物があり、建物の数だけオーナーがいる。

アベノミクスは、その既に「持てる者」を更に裕福にし、局所的な富の集中を生み出した。既に建ち切ってしまった東京の街。どこもかしこも建築で埋め尽くされてしまっている。建築家が設計という学問を始めた当初に喜びを感じた分野で日常を過ごせる時代はとうに終えたということだろう。

富に明るい「持てる者」は、更なる富を欲望し、彼らが求めるのは風景や街並み、良質な空間よりも、より確実で高い賃貸収入であり、不動産投機としての回収プランである。

視界のはるかかなたにのっぺりと広がる住宅街。そこにも空き地は見えないくらいに埋め尽くされて、数十年前よりもはるかに少ない新築住宅の着工数、そして建替えやリノベーションなどのプロジェクトを含めても、明らかに今までの様に建築家が社会の中で同じ数を保持していくのは難しいのは誰の目にも明らかであろう。

既にネットワークを構築し終えたエスタブリッシュされた「先生」のいる事務所はまだ血を流しながらも生きながらえる事ができようが、これからそのジャングルに飛び込んでいこうという若い建築家は、ジャングルの厳しいルールすら知らずに、地図もコンパスも持たず素手で森の中に迷い込むようなもの。

そんな彼を誰も護ってくれない。少なくなるパイを誰もが競い合って手を伸ばす世界では、誰もが「品」などかまってられず、ただただ自らと自らの組織のみが生き残ることを至上目的とする。

足元に広がる東京の風景。7年後のオリンピックということで笑ったのは間違いなく「持てる者」達。そしてこれから「持てる者」の仲間入りを果たそうとするものたち。

いつ命を落とすか分からない大海原かジャングルか。そんな東京の風景を見ながら、この街を拠点に建築設計活動を行っていく事の不可能性に再度思いを馳せる事になる。

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