今週末は幾つものプロジェクトが週明けに締め切りを迎えるので、それぞれのチームに「今週末はやることが多いから皆来るように」と伝えて迎える陰鬱な土曜の朝。
普段の週末よりも早く起床してジムに向かって、見始めた「リーガルハイ2」を見ながらランニング。噂に違わずなかなか面白いその内容のお陰で、あっと言う間に30分のランニングが終了する。週末に行う筋トレの半分をこなして、昨日一つのプロジェクトのチームに伝えていた集合時間が迫っているのに焦りながらシャワーを浴びてオフィスに向かう。
オフィスに着くと、火曜日にクライアントに資料を送らないといけない福建省で進めている新しい美術館の脇に更にオフィスとホテルを建設するというプロジェクトを進めているチームにスケジュールとやること、そしてスケッチを送って、今日中に資料のドラフトを纏めて他のパートナーにも送るように指示をする。
次には北京のアート地区で進めている新しい美術館のプロジェクトを担当しているプロジェクト・アーキテクトが数日前に送ってきたドラフトに一ページごといくつものコメントを与え、スケジュールと修正点、加えるコンセプトとダイアグラム、それに参考プロジェクトなどを指示してメールで送る。
その後、アメリカで進めているあるプロジェクトについて、週明けにパートナーがアメリカでクラインにプレゼンをするので、その資料作りとやるべき内容を担当チームにメールで送る。そうすると、すぐにロシアに行っているパートナーから修正コメントがSNSで入り、「先日の資料はとてもじゃないがクライアントに見せれるレベルじゃなく、市計画局に見せるためにも、もっと正確で、もっと美しい資料じゃないとダメだ。これこれをやってまずこちらに確認の為に送るように」とチームに激しいコメントが入る。
「そりゃそうだろうな。こちらもあのクオリティは無いなと思うけど、一日しかなかったんだもんな・・・」とチームに一番近く接しているだけに思いは複雑ながら、仕事量と能力を考慮して別のフルタイムのスタッフを急遽チームに入れて、やるべきことを分担していく。
それが終わるとやっと本日のメインである南京で進めているプロジェクトの締め切りに向けて商業部分を担当する協力会社から出向してきている二人を含めて10人以上となっているチームの作業の進行状況をイタリア人のプロジェクト・アーキテクトと確認する。提出に合わせてパース会社に数枚パースを仕上てもらうために、こちらで制作している3次元模型の内容とパースのアングルの確認をし、更に加工で必要な設計に関わる要素の指示をしていく。
それが終わるとより細かいデザイン要素を担当しているスタッフを回って、方向性を修正して、それぞれが遭遇している問題点に対して解決法を話し合っていく。そんなことを数人やっていると、既に昼過ぎに。自分の席に向かいながら「ふぅ・・・」と大きく息を吐き、なんとか気持ちを落ち着かせ、作業が進むまでの気分転換にとオフィスを抜けて向かった先が北海公園(ほっかいこうえん)。
後残り僅かとなった「壇」採集。「北京に散らばる9つの「壇」を全て採集したら、モクモクとして煙と共に「壇蜜様」でも現れたりすれば面白いのに・・・」などと想像を膨らませ紫禁城(故宮)の北に位置する景山公園を脇目に捉えて更に西へと向かうと右手に広がる大きな水面。そこが北京の発祥の地といってもいい北海。そしてその中にあるのは九壇の中で最も新しく築かれた先蚕壇(xiān cán tán)。
日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する
他の壇は全て今まで見てきた「壇」が全て明王朝時代に築かれているのに対して、この先蚕壇だけは清朝の1742年に建立されている。春にここで桑を祭ったと書かれているが、蚕と桑の関係性はいまいちよく分からない。しかし皇帝の変わりにその行事を皇后が代行する事もあったようで、その意味で女性が上がる事ができた唯一の壇ということらしい。
しかし残念ながらこの先蚕壇は既に撤去されてしまっており、かつてあった場所には門が構えられており、漢字と満州文字でかれた「先蚕壇」の額が掲げられている。
壇に関しては残念だが、とにかくこの北海公園、その巨大さもさることながら、その歴史がとにかく古い。1000年も以上前に築かれた皇帝庭園ということで、この地に攻め入ってきた元のフビライ・ハンは、その庭園の美しさに惚れ込んで、この地に都を作る事を決め、それが後の北京の基礎となっているという。
つまり歴史都市北京はこの北海の庭園があったからこそ実現したといえるのである。この庭園が先にあり、その後元王朝がその隣に紫禁城を建設したものを、北京を首都と定めた明王朝が改築をして北京の中心が決められていく。
そんな訳で、という訳でもないがとにかくこの公園は巨大である。先蚕壇が北に位置していると知らず、ついつい南門から入ってしまったので、ひたすら北まで湖の脇を歩く事になる。およそ30分ほど歩いてやっと到着。そして振り返るとはるかかなたに見える白い塔。愕然としながら残り半分をとぼとぼ歩いて戻る事になる。
そんなこの公園の中心をなすのが、湖の真ん中に浮かぶ瓊華島と呼ばれる島。その中心には 1651年にダライ・ラマ5世の北京訪問を記念して建立されたという白塔というチベット仏教(ラマ教)の仏塔。その他にも様々な古い寺院などがあったりととにかく見所には困らないのだが、その距離の長さにかなり疲労する。
それだけに他の公園の様に1元の入場料と言うわけにはいかず、入場料も15元と設定されているが、それだけの価値はあると思わずにいられない。
湖の脇を歩いていると、そのすっきりした境界の空間がやたらと新鮮に見えてくる。日本ではかならず安全の為にとかなり目の細かい手すりが設置され、石と水の境界に、まったく別の人工物が入り込む。かつてあった風景を直接見ることが出来なくしてしまっている現代の法と安全への配慮。それももちろん大切なのだろうが、それ以上に現代の人を信用し、かつてあった風景をそのまま残すという大らかさも必要なのではと思いながらそろそろオフィスに戻る事にする。
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