2013年11月16日土曜日

地壇 (ちだんこうえん 地坛公园) 1530 ★★★★


建築事務所をやっていて、いくつか異なるプロジェクトが平行して進行しているのが日常となると、週末なんていう概念はとてもじゃないが望めない。せいぜい午前中は出勤せずに、昼過ぎにオフィスに出てそれぞれのチームの進行状況をチェックしながら、平日に進められなかった設計やスケッチを進めることになる。

建築というやるべき作業は増えるが与えられる時間は変わらないという非常に酷な職業をしている限り、それは浮け入れるしかなく、医者や弁護士などの職業の様に、行政からその労働条件を守られるような職種でもなく、また膨大な報酬が支払われ時間的余裕を持って仕事を進められるようなことはなく、ひたすらに厳しい競争の中で生き残っていくために、昨日よりも少しだけでも効率を上げることを考えていかなければいけない職業であるとかなりマゾ的素質も必要とされる職業である。

そんな訳で、唯一与えられる自分の時間と呼べる週末の午前を如何に有効利用するかが重要となる。体内に溜まった不純物を体外に出すためにジムで汗をかくことも必要であるし、溜まった洗濯物を片付けてたり、食材を買出しに言ったりと家事的なこともこなさなければいけなければ、心の澱を流すために文化的活動の為にオペラハウスなどにチケットを物色しにいったりもする必要がある。

そして自分が住まうこの街を少しでも理解するために、建築的価値のある場所に足を運び、歴史の中で何が残され、何を手がかりに都市が作られてきたのかを身体に入れていく必要もある。と言うわけでここ最近にはまっているのが北京の「壇」採集。

何度も繰り返すようになるが、「壇」というのは歴史の中で皇帝が天と交信を行うために設けられ、様々な祭事を行ってきた地上より盛り上げられた壇である。そして北京には九壇八廟(jiǔ tán bā miào)と呼ばれる歴史的に重要な位置を占める9つの壇と8つの寺社がある。

地壇(地坛) 別称を方沢壇(方泽坛 fāng zé tán)
日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
月壇(月坛) 別称を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)
祈穀壇(祈穀坛 qí gǔ tán)  天壇内に位置する
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する

その中でも最も重要とされるのが、天と地。天壇と地壇 (地坛 Dìtán)である。

北京に住んでいるとその「壇」としての性質よりも、地壇公園として毎年陰暦の正月に当たる春节(旧正月 chūn jiē)に様々な公園などで執り行われう祭りである廟会の中でも最も有名で、最も規模の大きな「春節文化廟会」がこの地壇公園で執り行われることで身近に感じることになる。

以前北京に住んでいた頃。今よりも8年ほど前になるだろうが、その時も日本人の友人数名と連れ立ってこの廟会(miào huì)に足を運んだことを良く覚えている。当時はヒートテックなどというものもなく、ただただ凍てつくような北京の冬の寒空の下、公園のいたるところに行われている出し物や屋台などを冷やかして歩いて回った。

その時の出し物が、それこそかつての日本でも祭りの時に行われていたような「見世物小屋」的なもので、双头姑娘(shuāng tóu gū niáng)と呼ばれるような「頭が二つある女の子」という意味だが、「ビッグ・フィッシュ」でも描かれるような奇形の一種なのだろうが、これはそんなものではなく、箱の中に女性が座っていて、明らかにその後ろから顔の似た女性が肩に顔を乗せているだけで、角度によればそれが顔の二つある女性に見えるというような代物。

もちろんこういうことは現在の日本ではかなりタブーとして扱われているのだろうと想像するが、他にも「蛇食い女」と言った、口から生きた蛇を飲み込み、鼻からその蛇が出てくるというようなかなり際どい出し物だったので、記憶にも鮮明に残っている。

そんな話をオフィスのアソシエイトの中国人スタッフにしてみると、彼の出身の山西省でも昔はそんなのは何処でもやっていたといい、昔はどこも貧しかったので新鮮な肉を食べれるのはそういう「ハレ」の場である春节くらいしかなく、庙会では生きた牛をその場で捌いて、調理して皆に振舞うなんていうことが行われていたという。

そしてそういうのを皆が楽しみにしていたが、今ではいろんな報道のせいで、かつての面白いものがどんどん減ってしまっていると、「何処の国でも同じだな・・・」と思わされるような話をしたのを思い出す。

そんなことを思い出しながら、今度は「壇」採集という明確な目的を持って再度訪問する地壇公園。幸いにもオフィスからすぐのところに位置するので、その後オフィスに戻るのを考えても時間的なロスが少ないのでとても助かる。

北京を首都と定めた明の時代である1530年に天壇と同時に建設された地壇。紫禁城(故宮)を挟んで、南東に天壇、北東に地壇が配され、様々な意味で天壇と地壇は対を成している。

「天は円、地は方」という古代思想に基づき天壇は円形、地壇は方形とされており、この地壇では夏至の日に土地の神が祭られた。方形をしている地壇の周囲、4辺にそって水路が設けられ、それによって別名を方沢壇(方泽坛 fāng zé tán)と呼ばれている。ちなみに「方」は「方形の,四角な」と言う意味であり、「沢」は「沼,沢」という意味である。

そのアプローチも天壇とセットにされており、南から北に向かってアプローチするのが天壇なのに対して、地壇では北から南に向かって入るように設計されている。そして壇に登る皇帝が目の前にするのは、南に設置された皇祈室。

天壇では「天は陽、地は陰とみなす」という陰陽思想に従い、様々な要素が奇数(陽数)で構成されていたのに対し、こちら地壇では偶数(陰数)で構成されている。天壇では9段であった階段がこちら地壇では8段であり、壇は6方丈だという。使用した石版の数も偶数で、徹底した中華思想を体現する場所である。

その大きさも天壇について二番目に巨大な壇であり、天壇ほど観光客で込み合っている訳でもなく、「大きな風景」が見たい時には一番よい場所なのではと思いながら、壇の中心で二段に高さを変えて張り巡らされた塀の中で一つの小宇宙を作り出しているこの場所の空間にしばし身体を浸してみる。

方沢壇をこえて北に向かうと、神宮外苑を思い出させるような黄色に色づいた銀杏並木が目に飛び込んでくる。

地坛赏银杏
北京的秋天,有两种自然所赐的景致是最有味道的:一种是红叶,另一种就是银杏。特别是深秋时节的银杏,树上、地上金黄一片,是活生生、金灿灿的秋日童话。地坛公园的银杏大道就是北京一道美丽的风景。它位于东城区安定门外大街,虽紧邻北二环,却是喧闹繁华中的一片净土。古朴幽雅的皇家坛庙点缀着金灿耀眼的银杏叶,秋意浓烈,是游人赏秋,思秋,怀秋,恋秋的好去处。

と説明されるように、この地壇の銀杏並木の下で、銀杏を拾うことが北京っ子にとっては秋の風物詩であり、その言葉に違わないように多くの市民がビニール袋を片手に黄色に染まった落ち葉のカーペットの中から選りすぐりながら一つ一つ銀杏を取り分けている姿を見ることが出来る。

「たっぷりPM2.5を吸ってそうなのにな・・・」と思いながら、その独特な匂いにかつて通った母校の通りを思い出しながら、そろそろオフィスに足を向けることにする。






































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