まるでドラゴンボールでも集めているかのような気分になれる北京の「壇」採集。恐らくスマホでカードゲームにはまる子供や大人も遠かれ近かれ同じような気持ちなのだと思うが、それぞれの場所で壇を体験するたびに、身体の中で何かがスポッと嵌るような気分になれる。
日壇(日坛) 別称を朝日壇(朝日坛 cháo rì tán)
月壇(月坛) 別称を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)
先蚕壇(先蠶壇 xiān cán tán) 北海公園内に位置する
北京を首都と定めた明王朝。皇帝がこの現世を支配するのに相応しいものとして、天と交信をしてこの世の統治の方法を授けられるようにと設けられたのは天と地を司る天壇と地壇。では、その後には「何を祀るのか?」の答えはもちろん太陽と月であった。電気もない時代に、地上を照らしてくれる空からの光はまさに神そのものであったであろう原初的な世界。その神に少しでも近づき、声を聞くために地上より少しだけ高く持ち上げられた壇。
この壇を眺めていると、マヤのジャングルの奥地に設けられた原初的なピラミッドを思い出さずにいられない。どんな段階の文明に置いても、この世を司る天と地、日と月に神聖を感じるのは理性を持つ生物として当然であり、その動きにこの世の真理を見つけようとする。その神を崇めるために、何かしら人工性を持った建築物を持って向き合おうとする。その時に選ばれるのは自然界には存在しない原初的な幾何学の代表である正方形や円形の壇。こうして見ると、この壇にも人類の建築の歴史が閉じ込められているようで面白い。
そんな訳で1530年に建設されたのがこの月壇 (月坛 yuè tán)。太陽が沈んだ後は闇に包まれた当時の北京。そこに火を灯し、闇の恐怖に立ち向かった人々が見上げた夜空に明るく煌く星々たち。その中でも極めて大きく光を放つ月。その月を神とし、夜明神(月)と空に浮かぶ星々を祭ったこの場所は又の名前を夕月壇(夕月坛 xī yuè tán)と呼ばれ、「夕」とは中国語で「夕方,日暮れ」を意味する。
東へと発展する現代の北京。西にはかつてより軍隊の敷地が多く残るので、開発の手が入るのが遅れているという事情はあるにしても、目的がないとなかなか足を伸ばす事がない北京の西。さすがに電動スクーターでたどり着ける距離ではないので、自宅近くからバスに乗り込み、乗客の乗り心地など関係無しに思いっきりブレーキを踏み込むバスの運転の為に、グラグラ揺られて吐き気を覚えながら、とてもじゃないが読書などできずに棒に捕まりながらなんとか耐える1時間。
到着したのは月壇公園駅だが、北京に4か所ある壇のうちで最も小さい公園だけあって、それほど観光地化している訳でもなく、案内板も出ておらず、携帯で地図を見ながら北に位置するチケット売り場へ。地域の住民の憩いの場になっていると言うだけに入場料も1元。ここにくるまで1時間揺られてきたバスも1元。これは都市の流動化を促す大きな要素であると思うので、ぜひ東京も移動にかかる費用を抑える対策を取ってもらいたいものである。
さて、門を抜けて中に入ると、なんとも仄々した雰囲気。バスケットボールで遊んでいる親子の後ろには、如何にもそれらしき門があるが堅く閉ざされている。上を見上げると門の中に聳えている電波塔が威容を誇って見下ろしてくる。「さては・・・」と悪い予感を感じながらも更に南に下って壇探し。
どこまでいっても、整備された庭園が広がるばかりで、否が応でも手元のチケットの裏に示された園内地図と見上げると視界に入ってくる電波塔の関係が気になるばかり。諦めきれずに先ほどの門を北側に回ると明らかに壇のあとだという階段があるが、こちらも堅く閉ざされているので係員と思われるおじさんに聞いてみると、「入れないよ」と言うので、「中の壇は壊されたのか?」と聞くと「知らない」と。
言葉を失いチケット売り場に戻って聞いてみると、随分昔になくなって今は電波塔が建てられて中には入れなくしているという。「それでは、風水都市北京が完結しないじゃないか・・・」とがっくり肩を落として丁度やってきたバスに飛び乗りオフィスに戻る事にする。
東から西は混んでいるが、西から東は空いているようで、椅子に座れるとすっかり冷えた身体に車内の暖房が丁度良く、ウトウトとしているうちにオフィス近くのバス停を乗り過ごしてしまい、ワンブロック歩かなければいけないので、折角ならばと胡同の中に入っていって肉まんとゆで卵を頬張りながらオフィスに戻ることにする。
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