朝、ふと目が覚めて携帯電話を調べると、メールに兄から「今朝、伯母が無くなったと連絡があった。追って連絡する」と。
かねてより癌を患っており、かつ単身ということもあり、実の妹である母が献身的に介護を行っていたが、病状の悪化と共に自宅での介護が不可能になり、ケアセンターに入所しており、一ヶ月ほど前から病状が悪化したとは聞いていたのですぐに状況を理解し実家に連絡を取る。
葬儀社、導師の都合により、翌日が通夜となるということで、すぐにオフィスに向かい、パートナーに事情を説明し、すぐに航空券の手配をすると、幸運にもその日の夕方に東京に向かう便をとることができた。
プロジェクトの進行状況を確認し、数日間やることを指示して昼過ぎには自宅に戻り、妻が用意していた荷物を受け取り、すぐに空港へと向かうことにする。
病気か家族の不幸でしか日常を止められない。それもどうかと思うが、久々に「ポッカリ」と空いた時間をもてあまさない様に、久々に何冊かの本のページをめくりながら飛行機を待つ空港ロビー。
羽田に到着したのが、21時過ぎ。Navitimeで乗換えを調べても、既に実家に向かう最終の新幹線は出てしまっているらしく、どうやっても今夜のうちに電車にて戻るのは厳しそうだが、一晩東京で無駄に時間を過ごすのももったいないという事で、かつてすっかり懲りた夜行バスという選択肢を取る事にして東京駅へと向かう。
ちょうど20分ほどで名古屋方面に出発する高速バスがあるというので、チケットを購入し、コンビニでおにぎりとコーヒーを購入し外で頬張っているとすぐに出発時刻。暫く前に問題になった「高速バス」の事故の影響か、名古屋までの高速バスは二台続いて運転するらしく、その人件費が跳ね返ったのかチケット代は5590円と決して安くは無い。
「これなら朝まで待って新幹線で・・・」と頭をよぎるが、早朝5:00に地元の駅につけるので車内で睡眠を取れることを期待して、明日の朝から動きが取れるようにとバス移動を決行する。
バス車内は窓際にそれぞれ一席、真ん中に一席とシートが独立した配置になっており、かなりの角度までリクライニングもできるようになっているので、恐らく慣れた人にはかなり快適な環境なのだと思われる。以前利用した大阪までの格安高速バスは二人がけのシートで、前後の幅も狭いのでかなりのつわもので無い限り睡眠なんて期待できたものではないが、「これならば・・・」と期待して乗り込むとすぐに出発。
思ったよりもガラガラの車内で、以前乗ったバス会社よりもそれほど車内規定が厳しくなく、携帯の液晶画面の明るさが睡眠の邪魔になるから利用禁止などという馬鹿げたこともないようで、接続速度の速さに感動しながら中々寝付けれないままに時間を過ごす。
少々ウツラウツラしたころに到着するのが休憩場所の足柄SA。「めちゃイケ」のSAとして有名なようで、オカレモンの大きな看板が掲げられており、中も随分充実しているようで、身体を動かすがてら、いろいろと物色することにする。
次の休憩は三ケ日で取り、極寒の北京から着込んできた上下のヒートテックが暖房の効いた車内では暑いし、圧迫するしで、すっかりエコノミー症候群のような症状であちこちの血管にピリピリとした痛みを感じてやっと地元の駅到着。
解放感を感じながら手足を伸ばしていると、暫くして迎えに来てくれた父親の車が見えてくる。車内に乗り込んで話してみると、ちょうど連絡をもらって24時間で実家に戻ってきた事になるのに気がつき、なんとも便利な時代になったものだと思いを巡らす。
車中でまったく寝れなかっただけに午前中は少し休んだ後に、夕方から始まる通夜に向けて午後から両親と一緒に準備にかかり、隣家や親戚など集まってくださった方々に両親と共に挨拶をし、時間通りに到着した導師の指示に従って通夜が執り行われ、何とか滞りなく終了して一晩休むと次の日は昼からの葬儀・告別式となり夕方まで何かと忙しなく動き回ることになる。
葬儀の夜に東京に戻る兄を送り出し、次の日は両親と共に片付けや最後まで入所していたケアセンターへ退所の手続きに向かったりと日本の葬儀の大変さを改めて実感した三日間。
今回の件は、「単身高齢者」であり、「精神疾患」を患っていたということもあり、現代の様々な問題を当事者として向き合う両親の後ろから長年に渡って眺めてきたこともあり、様々な事を思わずにいられなかった。
介護への拒否によって、介護者をどんどん疲弊させてしまう老老介護の問題。
精神疾患の為に近隣との付き合いがうまくいかないだけでなく、世間からどんどんと孤立していく単身高齢者とそれでも社会の中で暮らしていかないといけない為に板ばさみになる家族の問題。
単身生活が長く介護保険にも加入していなかった空白の時期があったことと、その時期まで遡って支払う事ができない現行のシステムの介護保険の問題。
単身高齢者には広すぎてとても自分で手が届ききらない古い家屋から、適当な広さのアパートに入居しようとしても、高齢の為に契約者となれない不動産の問題。
古きコミュニティが残る土地だけあって、問題はあっても通夜や葬儀に出席してくれる隣家とのやり取り。
こういう非常時に改めてその関係性を実感する双方の親戚。
「死」というものにどう向き合うかを考えさせつつ、今後どれだけそのシステムが持続していくのか疑問を持たずにいられない檀那寺の問題。
それらの全ては地縁という問題に辿りつく。この土地で生まれ、この土地で育ち、この土地で生きていく為に出来上がってきたシステム。お互いに頼りあいながら物事を進めていくことで、より地縁を強め、より相互依存を強めていくためかのように、大変な労力を要する「死」に対する様々なイベント。
一般と思われる規模の葬儀を執り行おうと思えば、経済的にも労力的とても一人や一家族では対応できるものではなく、どうしても隣家や親族の助けが必要となってくる。それを見ていると、やはりどうしても現代にそぐわない行事だと思わずにいられない。
自由経済主義の波に飲まれ、刻一刻と社会が変化している現代において、それでも何を守る為にこの地縁に沿ったシステムを保持していくのか?かつての村八分でも、火事と葬儀だけは除外されていたというのがまったく理解できるように、誰かの「死」を執り行う行事は、一つの家庭を超えてしまうものであった時代に設定された行儀のやり方であり、それがコミュニティや社会のシステムが変化した現代においても、頑なにそのままの姿で残っているのはやはり多大なストレスをある一箇所に与えてしまうのだと思う。
数年前に、現代における「葬儀」のあり方に対する新書が何冊も出版されたのを思い出すまでも無く、やはり社会の様々な場所でこのタブーに対する意識の変換が必要となっているのは間違いないと思う。
現代でも間違いなく必要だと思う地縁であるば、現代の社会に即した新しい形の檀那寺の在り方や隣家との関係性、葬儀の執り行い方など様々な地縁に思いを馳せる機会となった数日間であった。
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