2013年10月7日月曜日

「坊っちゃん」 夏目漱石 2003 ★★★

やはり漱石文学の凄いところは、基本的に人間固有の感情、社会的な背景からくる立場や出世、出身などに対する妬みや僻み、派閥や陰口、それらの人間関係を描き、それが人間として、社会的生物として根源的な問題であるからこそ、時代を超えても古びれず、何度も何度も読まれ返し、その度に読まれた時代にあった意味が見えてくるのだろうと想像する。

中心から周縁との格差。東京から地方へと放射状に移動する坊ちゃん。移動した先で出遭う様々な人間とその人間関係。その人間関係に振り回されても決して揺るぐことの無い自信。それは同心円の中心に待っていてくれる、帰る場所としての清がいるからこそ。清こそ自らを坊ちゃんとしてくれる止まり木のような存在。

日本で生まれ育つと、生活するために毎日働かないといけないのにも関わらず、まるでそれが美徳の様に、毎日の労働が自らの精神の向上につながるかのように刷り込まれて育つことになる。

なので、とてもお金持ちで、毎日せこせこ働かない人に出会うと、羨ましいという気持ちをなんとか押さえ込み、逆に変な感情をもってしまうこともあるであろう。それは株や不動産で生計を立て、サラリーマンの様な務め人をしていない人間があまり人格的に尊敬できる人物が少ないというのももちろん大きく影響しているのは止む得ないのだと思うが・・・

しかし、世の中には、毎月の生活費を稼がなければいけないために、一年通して働き続ける人に対して、一年の中で1、2ヶ月だけ働いて、その報酬で十分で一年を暮らせる人間もいることはいる。しかもそれが本当の意味で豊かな育ち方をし、豊かな家庭環境の中で育まれてくると、どうしても金では買えない品の良さを身につけることになる。

そういう人間に出会うと、「この人は本当に坊ちゃんだな・・・」と思わずにいられない。それは決して悪い意味ではなく、捻じ曲がった感情を持たず、まっすぐに人に接し、自分が何を好きかを十分に時間をかけて過ごし、そしてそれに十分な時間を過ごしてきた人だからこそ得られる優雅さに振れると、絶対に叶わないと思わされる。

漱石の坊ちゃんにとっては、その背景になるのは清がいること。自分に自信をつけてくれ、どんな状況になっても帰る場所として、無条件で迎えてくれる、無条件で褒めてくれる人がいる。その人がいつでも受け入れてくれるという安心感。

それがある人にとっては経済力であるだろうし、ある人にとっては家柄かもしれないが、何かその人が自信をもち、安心感を持って生きていけるものがあるのが坊ちゃんの条件なのだと改めて理解する。

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