西地区を出ると、目の前の駐車場にはひっきりなしに大型の観光バスが到着し、多くの人が吐き出される姿に、現在の中国における観光業のパワーの凄まじさを感じながら、そそくさと東に向かう。
少し歩くと目の前に飛び込んでくるのは、中国で田舎に行けばどこにでも目にするような小さな目抜き通り。小さな食堂が軒を並べ、色とりどりの電飾広告が連なる。道を走るバイクが土ぼこりを巻き上げ、小さな通りなので、信号は無く、車と歩行者が互いを気にしながら行き来する。
歴史地区以外はすべて近代に建てられた建物かというとそうでもなく、街のあちこちに見られる運河の脇には、いかにも古そうな建物が残っており、その住民と思われる人々が、運河脇で洗濯をしたり野菜を洗ったりという風景が普通に見る事が出来る。
歩いて15分ほどで烏鎮東区(乌镇东栅,Wuzhen Dōngzha,ドンジャー) 周辺に到着し、一番の観光スポットということもあり、朝早いというにも関わらず、いかにも地方から来た団体客という集団が大挙して入り口に群がっている。
東地区の方が住民がそのまま残って生活している率が高いようで、西区に比べてよりローカルの生活が感じられるが、あまりに多い観光客と狭い通路でとてもじゃないがゆっくり見て周ることは出来ず、さっさと諦めてエリア外へと退避して、近くにあるかつての質屋だった建物を見て回る。
付き添いの子はさすが歴史地区を運営する会社に勤めているだけあり、建物の歴史や逸話などにやたらと詳しく、いろいろと説明してくれる。質入れする際に、外から顔が見えないようにと内部は一段高くなっており、そこに作業員が座る様になっていたり、物を預かるから、火事と鼠の被害に会わないように火神と号神が祀られている等々、ものすごい早口で説明してくれるのだが、流石に細かいところまでは理解しきれず、イベントに間に合うようにと、西区へと足を向けることにする。
かつての質屋
内部は一段高くなっている
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