読み終えて妻に聞く。
「もし、生きているうちに一度だけ死者に会えるとしたら、誰に会う?」
よくよく考えてみても、なるほどよくできた設定だ。「一度だけ」だと分かっているから、「この人にその機会をつかってしまって大丈夫だろうか?」なんて悩むことが無意識の中で想像されて、その葛藤を踏まえての決断をしてきた登場人物達の話だということが前提になる。さすがは2012年の直木賞作家というところか。
その絶妙な設定もさることながら、誰にでもある些細な、しかし絶妙な心情の描写が素晴らしい。
高校生の小さな嫉妬 。若いからこそのプライドと、その為に陥る自己嫌悪。絶対に誰にも言えない様な自分の「嫌な感情達」。それを小説というメディアを通して、非常に正直に描かれている。
ドラマチックなこともない、どこにでもいそうな、なんてことはない人達。その人たちをなんて活き活きと描くのだろうか。
「死んだらどうなるのか?」
という誰もの考える問題から一歩進んで、
「死者は誰の為にあるのか?」
という設問に昇華させる。
「人間ってのは、身近なものの死しか感じることも悲しむこともできないんだよ。」
「今、思い出した。目を閉じると、懐かしい匂いがした。音も匂いも、それが身近にあるときには一度だって意識したことが無いのに、間を空けて戻ってくると、こんなにも一気に記憶が巻き戻されていくものなのか。」
「御園のためじゃない。自分が楽になりたいだけだ、と気づいてしまう。」
「病気を変化と捉え期待してさっきまでの自分を思い出し、恥ずかしくなる。」
「会ったことで忘れられてもかまわないから、それでも会いたい。」
死者という「あっち側」の人に触れるということは、自分の中にこっそりと仕舞いこんでいた感情の蓋を開けることのメタファーに違いない。その時に発せられる言葉に見える、その人たちの生きてきた時間。
「記憶を攫むみたい。曖昧なところから連れ出してくるんだなって言う印象。あの世から呼び出すっていうよりも、この世に残っているその人の欠片や記憶をいろんな場所からかき集めて、どうにか一人分の形にするように、見えた。」
死者と使者。同じ読みだがその意味はまったく変わってしまう。しかし両者とも生者を「ツナグ」存在であるのは変わらない。とてもよい一冊である。
0 件のコメント:
コメントを投稿