タイムマシンに関する話は限りないほど作られてきたが、実際問題タイムマシンが使えたら一体どの様に使うのか?
起こったはずの事をその原因からなくしてしまえば、現在がまったく違ったものになってしまうというパラレル・ワールド。そうすれば世界の秩序は守られず、なんでもありの混沌に陥るために、厳しく政府がその使用を制限する。しかしどの時代にもテクノロジーを使って暴利を貪る社会の闇が存在し、では彼らは一体何をするのか?というところに行き着く。
組織の邪魔になる相手を、未来から過去に送り、予め未来から送られた仲間によって率いられた組織の手によってそのものを始末する。一見道理的に見えているが、よくよく考えると、現在に邪魔な存在を、過去に遡って消すことで、現在の存在もなかったことにしてしまう。というのが一般的な想像力だと思うのだが、いまいちそのロジックがつかめない。
通常こういうタイム・トラベル系の話だと、パラレル・ワールドが交錯しないようにと、未来から来た自分が現在の自分に出会わないようにというのが、バック・トゥー・ザ・フューチャーからの常識であるはずだが、それをあっさり裏切り、二人そろって事の収集にあたるという設定もなかなか興味深い。
日常の本当に些細な選択で分かれた二股が、未来の世界で大きな違いとなって現れる。そして現在に生きるすべての人間のすべての行動が、未来の源泉となる可能性を含み、その様々な事象が複雑に絡み合いながら未来に向かって進んでいく。それを見ると、人がどんなに抵抗しようとも、どんなに踏ん張ろうとも、少々の揺らぎを含みながらその進化の道は歪むことなく同じ方向に向かっているのだろうと思わずにいられない。恐らく存在するパラレル・ワールドもそんなに距離を持って存在するのではなく、ほんのちょっと、よく見ると違っているというレベルの差で存在しているはずであろう。
未来を描く映画の楽しみは、未来の都市がどのように描かれるかであるが20年後の近未来の上海は、高密度で密集する高層ビルの高層部分での接合が増えて、下層部はより流線的なデザインと、極めて現実的な都市として描かれている。これだけの都市を設計するには、建築の知識のある人物かある程度の設計図や、パースを起こしているのだろうが、コンピューターの画面の中だけに存在するという、建築が持ちうる他の様々な与件を無視することが可能な中で表現された未来の都市への想像力が、あまりにも刺激にかけて、現在を作り出す建築家達に新たなるイマジネーションを想起させないのはどうにも寂しい思いに駆られてしまう。
衝撃のクライマックスがあるわけでもなく、やっぱりいつになっても、未来を作るのは人間であり、その人間は家族や恋人という他の人間との関係性の中で育ち、どれだけ愛情を注がれて育つかによって、描く未来もまた違ってくるということへの主題の移行が唐突すぎる感はいなめない。
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監督ライアン・ジョンソン
キャスト
ブルース・ウィリス
ジョセフ・ゴードン=レビット
エミリー・ブラント
ポール・ダノ
ノア・セガン
作品データ
原題 Looper
製作年 2012年
製作国 アメリカ
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