2013年1月1日火曜日

「未踏峰」 笹本稜平 ★


かつては有能なシステムエンジニアとして活躍していたが、ふとした誘惑から万引きにはまって道を踏み外し、派遣労働者として明日への希望を失っていた橘裕也。

なんとかそのスパイラルから抜け出そうとして見つけた仕事は八ヶ岳の山小屋での住み込みバイト。

パウロさんという風変わりな経営者の下に集まったのは知的障害者ではあるが、力持ちでスケッチが抜群にうまい勝田慎二と、アスペルガー症候群で他の人の感情を察することはできないが、すべてを理論的に突き詰め、料理に関しては飛びぬけた才能を見せる戸村サヤカ。

生きることに希望を失いつつあった3人に、パウロさんが与えたのはヒマラヤ山脈6700メートルの未踏峰として残っている名も無き山への登山。それを成すことが生きることに夢を与え、それを成すことが新しい方向への転換点となること。

その準備期間で起こった不意の事故で亡くなったパウロさんの遺骨を胸に、一クセも二クセもあるメンバーでのこの世で最も厳しい環境への挑戦。

このプロットと、作者らしいゾクゾクするような冬山の表現で十分面白くなりそうなのだが、やはり国際的陰謀が奥に絡まないともう一つ物語りにハードボイルドとしての奥行きを与えきれないのが残念。

「可能性とは、あらかぎめ与えられているものではなく、与えられた条件の中で全力で行動することによって創造するものだ」

「人生における真の出会いには、おそらく時節というファクターが必要なのだ。」

派遣労働者として、一つの仕事が終われば、達成感を味わう暇も無く次の仕事に取り掛かる。仕事に喜びを見出せない。仕事以外の楽しみも見つけられない。そんな日々を送っていた裕也に生きることの喜びを与えてくれたパウロさん。

「考えて見ればここ何年も、裕也は人間というものに興味を抱いたことがなかった。」

興味深いと思える人間が少ないからなのか、それともそういう人間に出会わないからなのか、それとも出会った人の面白さすら感じとることができない人間なのか。

「無条件に自分が信頼されているという安心感。それは魂にとってもセーフティネットとでもいうべきものだろう。人を信頼することは、裏切られるリスクを甘んじて引き受けることでもある。」

「自分が落ち込んだ苦境を時代のせいにするのは簡単だ。しかしそれではなにも変わらない。時代を変えられないのなら、自分を変えるというやり方もある。自分が変われば世界の見え方も変わって来る。」

「普通だとか変だとか、そういう価値観事態がおかしい 世の中にはいろんなタイプの人間がいる。それぞれが神様から大切な役割を授かってこの世に生まれてきた。その役割をどう果たすかが大事なことで、それが他の連中と多少違っていようと、それは小さな問題に過ぎないはずだ。」

「心にも無いお世辞を抵抗無く並べられるようになることが、正しい意味での社会での適応といえるのか。」

「ただ意味も無く生きていくだけなら、どんな風にでもやっていける。肝心なのは、パウロさんが与えてくれた、生きることの喜びだった。」

「実現したい夢を持つことが、これほどまでに心に張りを与えてくれる。」

「死は誰にでも平等にやってくる。この世での成功も失敗も、そのときすべてがリセットされる。結局得るものもなければ、失うものも無い。
だから人は夢を見る力を授かった。君達も私も夢を持つべきだ。そしてその夢は、できるだけ欲得から遠いものがいい。生きているという、ただそのことを喜びに変えられるような。」

「徹底的に無意味であるがゆえに、それは生きるに値する。」

「自分でダメだと思ったときが敗亡なんだって。心臓が動いて呼吸ができる限り、チャンスはあるんだって。」

「人生にはそのときを逃せば一生悔いるような局面があるらしい。自分を変えるチャンスがあるとしたら、恐らくいまがそれなのだ。」

「ビンティ・チュリとの出会いがなかったら、今も自分は未来に怯え、ただきのうと同じ今日が来ることを願う人生を歩んでいたはずだった。」

「どんな人間だって、ただ生きているだけで意味があるんだって」

「だからこそ人は山に登るべきなのだと。人間がどれほど小さくひ弱な存在であるかを知るために。
すべてに満ち足りた人生などありえない。もしあるとしたら、それは死んでいるのと同じではないか。自分にかけたものを埋めようとして、夢や希望に向かって生きることからしか人生の喜びは生まれない。
生きることは闘いなのだと、闘いから逃げることは魂における自殺なのだと、
人として生きる本当の理由を、頭で追い求めては駄目だと言っていた。その答えは、全身全霊を懸けて人生を生きることのなかにしかありえないのだと。
誰かの幸せの為に生きる。」

こんな言葉を目にすると、今年もできるだけ山に登れればと思わずにいられない。

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