実家での仮住まいの時間が長くなり、かつての自らの子供部屋がリモートワークのオフィスとなるなか、本棚に置かれっぱなしの小説の背表紙を眺めると、読書に没頭していた時期を思い出す。
そんな気持ちを取り戻すべく、読んでない本を探して一時期随分読み漁った吉田修一の「初恋温泉」を見つけ出す。恐らく読んでなかったはずと、一日一篇読み始める。
それぞれの篇には具体的な温泉と旅館名が書かれており、そこを訪れるカップルの話が納められているのだが、
青森の青荷温泉を舞台とした「白雪温泉」では、空港を出た際に感じる違和感が、雪景色に覆われた風景で音がなくなったような感覚から来るのだと始まり、雪深い宿に訪れた夫婦の一夜の物語が書かれている。
その話が印象深く、夜に妻に語って聞かせた次の朝、日課となった庭木の片付けを終えて市のクリーンセンターに向かう途中、前の車が少し不安定な運転をしているのに気が付く。「危ないな・・・」と思ってみていると、どうやら高齢の女性ドライバー。しかも、目的地が同じ様である。「なんとかかわして先につきたいな・・・」と思いつつも結局前後関係は変わらず到着。
最初の計量に際して、係の人から「何を持ってきたぁ?」と聞かれて、「ちょっと見せてくれる?」と通常のやり取りが行われているのを後ろから何気なしに眺めていると、運転席から降りてきたマスク姿のおばあさんが、トランクを開けて指を折りながら数を数えている。「ここは不燃は取れないよ。可燃しかダメだよ」という係の人の言葉に、窓口に向かうおばあさん。
「ここは不燃がダメなのを知らない人が多いからなぁ」と思いつつ眺めていると、どうやらうまくやり取りが進まない様子で、係の人が「あぁ、耳が聞こえないのかね」と。
昨晩の小説が頭の中で甦り、携帯をもって車を降りて駆けつける。携帯に「不燃」と打ちこみ、おばあさんに見せて、腕でバツを作って伝える。それでもうまく伝わらない様子なので、係の人が「中央センターなら全部取ってくれるから」と言うように、中央クリーンセンターを地図で表示して、「可燃と不燃」とタイプしてマルを作って見せると、どうやら分かった様子でトランクを閉めようとする。
大丈夫かな?と思いつつ、「市民病院の近く」と再度打ちこみ画面を見せると、ポンポンと腕を叩いて、マスクの上からでもそれと分かる笑顔でにっこりとうなずく姿からは「大丈夫だよ。ありがとう」と言ってくれているのが伝わってくる。
植木を出し終え、家に向かいながら、こんな状況でも力強く新緑に覆われ始める春の風景を眺めながら、昨晩「白雪温泉」を読んで妻に話していなければ、恐らく気が付くことがなかったであろうことが、意味のある景色として見えたことに感謝しつつ、音がすべて吸収されてしまう雪景色のような世界でも、あんなに温かい笑顔と感謝があることに思いを寄せて、ごみを出しに来たのに、それ以上に大きなものをいただいた気がせずにいられない。
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