2020年5月17日日曜日

「後世への最大遺物・デンマルク国の話」内村鑑三 1894 ★★★★★



「100分 de 名著」で内村鑑三の「代表的日本人」を観ていた時に姉妹本として紹介されていた一冊。それ以来気になって、ブックオフに行くたびに探していたがついに見つけた。

題名にあるように、二編収められており、「後世への最大遺物」は内村が33歳の時の明治27年の夏、箱根で開催されたキリスト教夏季学校での講和として話された内容をまとめたもの。

1894年に始まる日清戦争に向かっていく日本のことを何とか世界に正しく理解してもらおうと意図し英語にて日本人とは何かを書いた 「Representative Men of Japan /代表的日本人」が出版されたのは同じく1894年。

1904年から始まる日露戦争前に同じように英語にて日本とは、日本人とはを世界に紹介しようとして刊行された岡倉天心の「The Book of Tea/茶の本」が1906年に、そして新渡戸稲造の「Bushido: The Soul of japan/武士道」が1900年に刊行されているのが、その先駆けと言える明治期の著書である「代表的日本人」であるが、英語で著述する内村の語学力の高さと、そのタイミングで日本の本心を世界に紹介しなければいけないと察する、国際感覚の強さには驚くが、更に驚くことは1861年生まれの内村は 「代表的日本人」を書きあげた際にはまだ33歳という若さ。

そしてその33歳の夏に行ったのがこの「後世への最大遺物」の講和であり、時期的に必然的に 「代表的日本人」 の内容とリンクするという訳である。 一方は世界に向けて、日本とは、日本人とは何かを伝えるもので、もう一方はこの世界に生きる上で、どんなものを後世に残すべきかと人間としての問題を考えるもの。

本書の中で内村は、

「私は今より30年生きようとは思いません。しかし、この書は30年あるいはそれ以上生き残ることもあるでしょう」

と語る。そしてこれが語られた1894年から100年以上の時を経て、自分もまたこの書を読み、いろいろなことを考えさせられている。内村の言葉の通りになっている訳であり、この書がこうして生き残っている訳である。

後世に残す最大遺産として彼があげるのが、金、事業、思想。その中でも思想については、著述をするか、学生を教えることだとし、いくら高名な学者であっても、それがイコールで人に教えることができるとは限らず、学問と教えることの違いを指摘する。

そして自分には金を稼ぐ才能もなく、金を使う事業を起こす才能もなく、文学をすることも、誰かに教えることもできない人間はどうしたらいいかというと、最後の勇ましい高尚な生涯を残すべきと希望を残す。

文中で引用される天文学者ハーシャルの言葉「死ぬときには生まれた時よりも世の中を少し良くして往こう」。この言葉のように、後の世に、何か自分で残して世を去りたいと思い、考えること。

小さなころに感銘を受けたという頼山陽の詩など、それぞれの注釈を読んでいくと、33歳の内村がどれだけ深い知識を持ち、自分の中でじっくり消化しているかが良くわかる。

この本を書いた時の内村の年齢を遥に超えてはいるが、それでもこの本を読めたことはとてもこれからの生き方に意味を与えてくれる一冊になるだろうと思いつつ、二宮金次郎に負けないくらい、勇ましく生きていこうと100年前から元気をもらって気がしてページを閉じる。

0 件のコメント: