いつも「法隆寺を支えた木」の著者である宮大工の西岡常一と名前が混乱してしまうが、こちらは民俗学と言えば必ず名前が挙がる宮本常一。
日本全国、いたるところを歩き回り、実際に自らその地に入り込み、そしてその土地に住まう人々から話を聞く。決して自分が前に出はしない。ただじっくりと耳を傾ける。
それは作者が炙り出そうとしたのが「無字社会の日本」であるから。様々な事柄や出来事を「記録」として「文字」という媒体を利用して後世に伝えていく文化の継承。しかしその一方、文字が普及せず、ひたすら口伝によって継承される「記憶」の文化もある。そして文字を持たない農村部に住まう人々がどのような文化を継承してきたかをその場に入り込み、その場で生きてきた人々がどのような話を受け継いできているのかに耳を傾ける。
「記録」に残らない、つまり「記録」の積み重ねで作られる歴史の中からは「忘れられて」しまった人々の中にあるのもまた間違いない「日本」であり、彼らもまた「日本人」の一面であるということを描きだす。
その為に、自分の意見をどうのこうの書くのではなく、ただただその地にいる人たちがどのような日常を過ごしているのか、どんな話をするのかをただただそのまま描く。その地に伝わる「語り」と「継承」。そして四季折々に行われる行事の中に見える文化や踊り。そして歌。
アカデミー賞を受賞した、「それでも夜は明ける」を見てみても、奴隷として農作業に従事する黒人がその農作業の辛さを紛らわせるかのように皆で歌を歌いあう姿が何度も描かれる。
日本の農村で田植えに励む人々も「田植唄」という歌を田植え作業をしながら皆で歌いあう。そこに共通するのは時間が過ぎるのを紛らわせるという、単純作業、辛い農作業を少しでも皆で軽くしたいという思い。これはどの時代、どの場所でも同じなのだと理解する。
若い頃いった「夜這い」の話を懐かしい思い出として話す各地の人々。女性もまたそれを一つの楽しみとして話している姿から、娯楽が非常に限られていた時代に、限られた人間関係の中で生きていた人々が長い年月の中である種のルールを構築しながら日常の中にハレの場を作っていたことが良く見て取れる。
「村の寄り合い」の場面で、どんなに時間がかかろうと、皆が納得するまで話し合い、村の将来の為に最後は代表者の判断を信用する。そんなコミュニティのあり方。そのプロセスに参加している為に、自分も強い所属意識を持ちながら日常を過ごすことになる。
「利便さ」という「価値観」によって、ズタズタに切り裂かれることになった現代日本。自分達の祖先がどのような日常を過ごして来たか、ほんの少し前の日本では、どれだけ日常を過ごすのが大変だったのか、如何に今の自分達が様々な技術の進歩の恩恵を受け、楽な時間を過ごしているのか、それすら知ろうともしない多くの現代の日本人。
日本人が住まう場所に広がるのが日本の風景。現代の日本人が一体何を考え、何を語り、何を感じて生きているのか。それを見て、知らない限り、現代日本の風景は見えてこないのだろうと思いながら、できるだけ多くの日本人に出会い、話を聞くことが今後の日本を作る建築家にも必要なことなのだと理解する。
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■目次
/対馬にて
/村の寄りあい
/名倉談義
/子供をさがす
/女の世間
/土佐源氏
/土佐寺川夜話
/梶田富五郎翁
/私の祖父
/世間師(一)
/世間師(二)
/文字をもつ伝承者(一)
/文字をもつ伝承者(二)
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