2012年9月16日日曜日

現状

2005年のものと比べても、緊張感としては今回の方が上であろう。そして何より2005年には無かったSNSが今回の騒動を更に大きくしている。

しかし、北京の現状は一部の地域を除いては比較的落ち着いており、個人の活動に何らかの影響を与えるようなことは起こっていないと感じる。

緊張感が高まっていることは間違いないが、心ある中国人の友人たちは、「これは国家間の問題であって、個人になんら影響すべきではない」といい、「ああいうデモに参加するのは、教養が無く煽られる形で参加し自らの鬱憤を晴らしているだけで、中国にも色々な考えを持っている人たちがいるのを分かってほしい」と言ってくれる。

日常生活で言えば事務所では唯一の日本人で、日常の中で家の外で日本語を話す機会はほとんど無く、また日本人ということに依拠して生活が成り立っている訳でもないので、これといって直接的な被害や影響が出ている訳でもない。

妻も同様で、語学学校ではもちろん学生は中国人以外であり、先生も非常に国際感覚が高い人が多いようで、今回の関係悪化に一刻も早い沈静化を望んでいると言ってくれているようである。

逆に今回のことで気がつかされることは、隣人が居て歴史があれば、様々な認識のズレは生じるものであり、同じような問題、もっと過激な日常の緊張感を持っている国々は世界中にあるであろうということ。それを感じずに今まで生きてこれた日本がイカに平和な世を謳歌していたかということ。

これだけのグローバル化した時代でも、やはり国家としての枠は残り続け、ある国との摩擦が高まることもあるだろうが、決して見逃せないこととして、その国に住んで生活を持っている日本人も居るということ。その緊張感はその人たちの日常をまったく違うものにしてしまうこと。

日本で生活する中国人は恐らく襲われたりする心配はしないだろうが、現状の報道の様子を見ている限り、中国で生活を持つ邦人はそんな心配はないだろうと思いつつも、やはりいつもより少しだけでもアンテナを高めて日常を生きることになる。

コミュニケーションで捩れた問題は、やはりコミュニケーションでしか解決しないのであれば、世界に納得してもらい同じようなことが二度と起きないような方法で、両国の国民を傷つけない着地の仕方を一刻も早く模索してほしいと願わずにいられない。

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