今週は強化週間かと思うほど打ち合わせが多い。一度の打ち合わせに各関係会社から3-4人の参加で多いときは30人程になるものだから、とにかく疲労困憊する。
しかし救われるのは、どの打ち合わせも大体メインで参加しているのは30代か40代の人ばかり。皆、脳内活動が活発で、流動的に変化する状況にも臨機応変に対応し、すぐに電話で確認をとったり、最新の機器でデータを変更したりと、とてもアクティブに物事が進んでいく。
ホストとなるクライアントのトップもふんぞり返っているのではなく、施主として精一杯建築の各分野のことを自分の言葉で理解しようとし、各プロフェッショナルを尊重し、それぞれの知識を掛け合わせ一番よい方法を見つけようとしている。
そこには偉そうにふんぞり返っているかつての功績に胡坐をかいているおじさんはいないし、自分の保身の為に本音と建前を使い分け偉いと思われる人の顔色を伺う人の姿も無い。
非常に健康的な打ち合わせの姿だと思う。
十分経験も積み身体も思うように動かなくなってきた50代に入ったら、社会を動かす大変な責務と責任はアクティブに動ける若い世代に引渡し、自分は孫と一緒に過ごしたり好きな趣味に時間をかけたりと、若い自分とは違う時間の過ごし方をしている、そんな老人の姿を街のいたるところで目にする。
経済を動かしたり社会を牽引したり、いつまでも重要な地位にいることでしか自分のアイデンティティを確認できない、そんな人にはきっと無理な時間の過ごし方だろうと、早朝の公園で水に濡らした筆で地面に達筆な文字を書いている老人の姿を見て思う。
既得権益を握り締め、どのような世代構成が社会にとって一番いいのが、自分の立ち位置が見えないことは、その人だけでなく社会すら不幸にしてしまう。そして何よりも見苦しい。
社会の中心となってハンドルを握る為には、経験すべき時に必ず経験しておくべきことがあり、それ経験を上の世代のエゴにより握りつぶされ経験できず、成熟することなくダラダラと歳を重ねていく。そんな状況によってもたらされる社会的不具合が、噴火寸前のマグマのように至るところからグツグツ噴出している、そんな雰囲気の今の日本。
なぜそれができないのだろう?と考える。
一つには働かなくなっても生きていけるような社会的システムが整っていないからだろう。社会的地位が向上するにつれ、盲目的に上げられてきたその人の生活水準。会社という枠の中におさまっているからこそ維持できたその贅肉だらけの生活を、いきなり必要十分に変化させるのに耐えられない。また、現行の年金システムで支えられる生活水準と、まっとうに生きてきたと自ら信じる人々の生活水準との間にある乖離を埋められずにいる。
では、思い切って生活インフラと生活必需品の値段を下げる。なんていえば、デフレ加速と槍玉に挙げられること間違いなし。そこで手詰まり。
それなら、とっとと都市部における土地所有をやめさせて、現役以外の世代はできるだけ都心部から離れて暮らせるようにすることと、またそれを推進していくような、少々強引な手も必要になってくるのか?などと考えずにいられない。
噴火をする前にスッと身を引いて、遠目から若い世代を暖かく見守る。
そんな上の世代がちゃんと幸せに生きていける社会にならないと、今度の火山灰は相当酷く都市機能不全を引き起こしそうだなと想いを馳せる。
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