今回の休暇の初めての小旅行として選んだのは、静岡伊豆地方。現在の地名で言えば、伊豆の国市から、三島市、裾野市と巡って御殿場市を通って東京へ戻ってくるルートであり、旧国で言えば、伊豆国と駿河国を巡ることになる。
韮山反射炉は2015年に「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として世界遺産登録された文化遺産である。それを作った当時の代官であった江川英龍の邸宅が近くに残される江川邸であり、これは新建築が出版した「日本の建築空間」にも掲載される貴重な建築である。そして伊豆長岡温泉の中心をなす三養荘は新館を村野藤吾が設計を担当し、その庭園は粕谷幸作によるもので「日本の庭園100選」にも選ばれており、「一度は泊まりたい日本の宿」として様々なところで紹介されている素晴らしいお宿である。
せっかくだからと三島の名物の鰻を食べて、そのまま裾野までしっかり見ることのできる富士山を目指し、「クレマチスの丘」と呼ばれる4つの美術館の複合施設に立ち寄り、最後は御殿場まで戻って虎や工房でお土産を買いつつ、隣に位置する安部首相のお祖父さんの岸信介の自邸として吉田五十八によって設計された名建築である東山旧岸邸を見学して、せっかくだからと高速に乗る前にアウトレットを冷やかしていこうというものである。
そんなルートを設定しながらふと思う。
現代ほど情報に溢れ、かつ交通が便利になり、その気になればどこにでも移動できる時代はかつて無かったはずである。その現代において、では人々が何を持って今まで知らない場所に足を運ぶようになるのか?そんなことを考える。
自分が育ったとか、大学に通った、働いている、転勤で赴任した、結婚相手の地元だとかいった、何かしら自分の人生で縁を結んできた場所ではない場所。
地元では買えない商品を求めて地域の中核都市へと足を運ぶ。そんな場所性を持っていたものが、インターネットの登場とそれを追うようにして現れたネット通販によって希少性を薄められた。
そしてディズニーランドに行きたいから地方から東京にやってくる、アイドルのコンサートを見るためにある都市まで出かけるといった、その場所やライブといったものの価値がさらに高まるのは必然である。
そんな時代に人々は、一体どんなことに興味を持ち、どんな媒体で情報を検索し、どのような形でその情報にフィルターをかけ、どのような形式にてそれを保存し個人化し、どのタイミングでそのデータにアクセスし、ルートの中に再配置していくか。
そういう観点で上記のルートを見返してみると、しょっぱなから「韮山反射炉」という2015年のニュースで初めて聞いた施設は、まさにこの世界遺産登録の報道が無ければ恐らく一生知ることの無かった場所であるだろうし、今回のルートも存在しなかったこととなる。
それに加えて、世界遺産に登録されたからこそ、「それだけ価値のあるものであるならば・・・」とそれをマッピングしてみようとした訳であるし、同時に登録された他の文化施設もそれぞれの県のマップにアイコンが挿された訳である。それがもし、「都道府県レベルの文化遺産」とかであれば、恐らくマッピングすることも無いだろうし、それ以前にニュースとしてアンテナに引っかかることもないであっただろう。
その記憶があったという事実にプラスして、その周辺に「江川邸」と「三養荘」と建築的にもかなり価値のある場所が二つも点在していることにより、このエリアの価値がぐっとあがり、今度はそこを中心として同心円を描きながら他の目的地を探していくこととなる。
その同心円に覆われているからこそ、「三島でお昼を、それならば名物の鰻を。それならば有名店であるここのお店で・・・」という行動様式になってくる訳であり、それらはすべて個人化されたマップの上で様々なフィルターを通して散りばめられたアイコンの間で行われている訳である。
ならば、そのアイコン達はなぜそこに挿されることになったのか。なぜ地図の上で可視化されるようになったのかと言えば、自らがその価値を認めるメディアに載っていたから、もしくは共感できる人の書くブログに紹介されていたから、かつて見たテレビで紹介されていたからと、人生の中で出会う様々な断片化された自分が「目利き」として信じる価値観の集合体である訳である。
これが現代のツーリズムであり、そこには様々なマッピング作業によって個人化されたマップの存在。そしてそれを可能にさせたグーグルマップの存在が見え隠れする。
これが今までの「地球の歩き方」などのガイドブックに頼るツーリズム、そのより遥かに前の万博黎明期におけるツーリズムなどとどう違うのか、つまりツーリズムが時代とともにどう変遷してきたのかは改めて何かの本などで体系立てて調べてみたいものだと思わずにいられない。
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