2017年1月27日金曜日

伊豆国(いずのくに) ★ 東海道

平安の終わり、平清盛の命によって捉えられた源頼朝が流されたのが伊豆国(いずのくに)。危険人物を中心からできるだけ遠ざける意図を持った流刑の地として選ばれたということは、中心である京都との距離であり、そこが辺境の地としての境界線であり、世界として認識されている縁であったことがみてとれる。

そのことが良く分かるように、流刑地には時代と共に畿内からの距離によって三つの分類がされているという。一番近くに位置するのが越前や安芸の地。中ほどに位置するのが信濃や土佐。そして一番遠方とされるのが伊豆や隠岐という位置づけという。その中でも圧倒的に流された人物が多いのが、佐渡国、土佐国、隠岐国とこの伊豆国。

後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流されたのは日本海に浮かぶ隠岐国
日蓮や世阿弥が流された佐渡国もまた日本海に浮かぶ島で構成されている
頼朝の同母弟である希義や法然が流された四国の流刑地・土佐国
宇喜多秀家や源頼朝が送られたのが東国であった伊豆国

源氏の名前が多く見受けられるのも、都を中心とした平家の時代に脅威として僻地へと送られた流刑の地政学の意味が透けてみえ、その送られた先の場所から当時の僻地の定義も見えてくるのもまた面白い。

そんな訳で源頼朝が流されて、土着の北条家のサポートを受けて決起し、鎌倉時代の幕開けをもたらし、その後長く続く武士の時代の始まりを告げる日本史における重要な場所であるのがこの伊豆国。

国府や国分寺が置かれたのは半島の付け根に位置する現在の三島市。ここには伊豆国一ノ宮である三嶋大社も置かれており、東海道を行き来する人から信仰を集めた。

伊豆長岡温泉で知られる伊豆長岡町や「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録された、韮山反射炉のある韮山町などが平成の大合併によって合併して誕生した伊豆の国市と上記の三島市がその大部分を占めていることになる。

様々な時代において、中心を特別な視点で眺めてきた伊豆国。中心とは違った風景の変遷が見れることを期待して早朝の高速を西に向かうことにする。




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