フランス学士院(フランスがくしいん,Institut de France)は、フランスの国立アカデミー。と言われてもピンとこないが、つまりフランスで一番権威のある学術団体が入る建物ということらしい。
その威厳を示すように建物は見事な古典主義建築。その設計はヴェルサイユ宮殿を設計したことでも有名な建築家のルイ・ル・ヴォー(Louis Le Vau)。ルイ14世時代における筆頭建築家ということから、相当権力に近い場所にいたのだろうが、そのルイ14世の摂政であったマザラン枢機卿(Jules Mazarin)が私費によって大学(Collège des Quatre-Nations)を建設することになり、その設計がこのル・ヴォーに託されたという訳である。
目の前にかかるポンデザールが1804年に完成しているから、それからおよそ80年後にルーヴル宮殿からの軸を受ける立派な建物がセーヌの南に完成したということになる。
では、この建物が建つ前にはここには何が建っていたのかと想像を膨らませる。なぜならたいしたものでないところに、わざわざ当時の国家プロジェクトとも言える橋を架ける事業を行わないだろうし、加えてルーヴル宮殿と向き合うくらいの重要な役割を担わされるのは一体どんな建物が建っていたのか?
と思い調べると、以前はネールの塔(La Tour de Nesle)と呼ばれる、かつてのパリ中心を巡って建てられていた城壁の一部として12世紀に建てられた塔があったという。つまりはこのフランス学士院が建っている場所はかつてのパリの中心から言えば周縁にあたる場所であったということである。
そうなると俄然興味が沸いてきて、パリにおけるアースダイバーの様に今度はパリの古地図を見てみると、なるほど、かつてのパリの中心は現在のシテ島をぐるっと取り囲むようにして城壁で囲われており、この城壁を作ったのがフィリップ・オーギュストであるためにオーギュストの城壁と呼ばれているらしい。
この城壁のほとんどは19世紀のオスマンによるパリ大改造によってほとんど取り壊されて、変わりに近代社会にふさわしい大きな通りへと姿を変えられたが、今でもほんの一部分はまだ見ることが出来るという。そういう歴史の残骸がその意味を失っても姿を残している姿はなんとも言えぬ都市の色気を醸し出すが、次回はぜひともその城壁を巡ってみたいものだと思いながら、やっているはずの写真展への入り口を見つけるために建物の周囲を巡ることにする。
ちなみにセーヌの南のこの地域は6区となり、ここから南に少しいけばサンジェルマン・デ・プレ教会が見えてくるオシャレな雰囲気のエリアとなる。
ネールの塔(La Tour de Nesle)
パリの古地図
パリ6区
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