「やっと完成した」と言われる建築が2016年パリに完成した。それはレ・アール(Les Halles)とも通称されるが、正式にはフォーラム・デ・アール(Forum des Halles)と呼ばれる巨大な複合施設。場所はパリのど真ん中1区で東に位置するポンピドゥー・センターからまっすぐ西に数百メートルの場所で、地下鉄やRER(郊外高速電車)が乗り入れるパリ中心地の交通の要として機能する。
なぜ「やっと・・・」と言われるかは、この場所の歴史を紐解かなければならない。
まず最初に、パリ1区という場所性を見ても分かるように、中世からこの地は大都市パリの中心として機能しており、1137年当時はシテ島をぐるりと取り囲むようにしてできていたパリの郊外に位置したこの地に、中央市場が建設される。
時代は下り、近代のパリ大改造に併せるように1848年、建築家ヴィクトール・バルタール(Victor Baltard)の設計により、衛生面での問題を抱えていたこの中央市場の大改修が行われる。時代の流れを受け、街中に現れていた新しい時代を象徴するインフラや建築同様に、鉄をガラスをふんだんに使った透明感のある軽やかなデザインの市場として1870年に完成する。
さらに時代は下り現代へ。各時代において時代を牽引する商業空間を生み出してきたパリも新しい時代に適応すべく、街のあちこちに巨大なショッピング・モールが建設される。1979年、当時のシラク大統領時代に、ここ中央市場跡地も新たに、フォーラム・デ・アール(Forum des Halles)として商業施設として生まれ変わることになる。
しかし長いことその利便性やデザインに対して様々な問題定義がなされ、その結果2003年に設計コンペが開催され、フランス人建築家のダヴィッド・マンジャン(David Mangin)の案がシンボリックな大屋根で敷地を覆うという大胆な案で一等を獲得するが、その案に対しても再度市民から多くの批判が飛び交い、全体の配置計画は踏襲しながらも2006年に再度国際コンペが行われる。
その結果、パトリック・ベルジェ(Patrick Berger)の案が一等を獲得し、その案はマンジャンを曲線を用いて有機的な表現へと変換するもので、2012年についに建設が開始されるが、もともと地下鉄やRERが地下に通る大変複雑な場所であるために建設にも時間がかかり、6年の歳月を費やして「やっと」この度完成したと言うわけである。
そんな訳で、建築の世界に身をおいているものとしては、ぜひとも「カノペ(森の木々の梢)」と名づけられたその優雅な大屋根の空間を見てみたいと、地元のチームとの夕食の前の時間を利用して足を運んでみることにする。
巨大な空間を無柱で飛ばすためにか、軽やかという表現からは程遠いくらい重く、ごつい構造体はまるで巨大なコンドルが翼を広げて飛び立つ姿のようであり、覆われていると思っていたその屋根は、開放されており、あいにくの雨は地下に設けられた広場の上に設置された排水口からドボドボと胃液でも垂れ流すかのように階段の踊り場へと水を落とし、何ともいえないノイズを立てる。
屋根に覆われた下に独立して立つ小屋の建物の屋根には、大量の鳥が我が物顔で闊歩し、当然のことながら糞などで満ち、アラン・デュカスなど高級レストランが入るという左右の商業施設とは目と鼻の先でよく営業に支障が出ないなと思いながら、じっくり見て歩けば歩くほど、なんどもがっくりする気持ちになりながら、この建物のすぐ北に位置する古くから残るパリの一角の中にあり、生まれも育ちもパリだというフランス人お勧めのエスカルゴのお店へと足を向けることにする。
パリ1区
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