週末に書の稽古に通うようになった為か、新聞の書評で紹介されていた時に同じ墨の文化として気になっていた一冊。
先日札幌に出張に出かけた際に、せっかくだからと北海道大学のキャンパスの雰囲気を見に行こうと夜の散歩に出かけ、正門前でとても良い雰囲気を出していた古本屋に吸い込まれるようにして立ち寄ったら、ちょうど棚にこの本を見つける。きっと多感な年頃の大学生が買って、売りに出したのだろうと想像しながら、何かの縁だと購入してみる。
心に傷を負い自分の世界に閉じこもっていた大学生が、ひょんなきっかけで出会った水墨画を通し、水墨の世界の大家と呼ばれる先生や同年代の絵師など、様々な人との交流を経て、徐々に水墨画の魅力にとりこまれ、そして周りの世界との関りを取り戻していく物語。
墨を磨り、筆を浸して白紙に描く。どれだけイメージをしても、どうしても思うように書くことは叶わず、次の白紙に向かうことになる。何百年前にも同じように、この文字を悔しい思いをしながら書き続けていた人がいたのだろうと、邪な想像を膨らませると、また文字のバランスを崩してしまい、また白紙を重ねることになる。
そんな墨と筆が与えてくれる書の時間は、詰まるところ、自分自身と向き合う時間なのだと徐々に気づき始めた時に出会う、また別の墨の世界の物語。大学前の古本屋に並んでいたのにふさわしく、とても爽やかな読み心地をもたらしてくれたために、読み終えた後の最初の書の稽古にて、先生に紹介すると、ぜひとも読んでみたいとおっしゃっていただいた。
毎週末、学ぶものとして足を運べる場所があるということ。「日日是好日」
のお茶のお稽古の世界の様に、先生がいて、共に学ぶ人がいる。長い道のりの学びではあるけれど、季節の移ろいを感じながら、去年より少しだけ前に進んだ自分を感じられながら進む人生は、やはり日本人に合っているのだろうと思いながら、今週末に書く文字に思いを馳せる。
砥上裕將
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