地方の学校で教員をしている友人の話によると、決して学業が優秀なわけでもなく、かといってスポーツや文化活動に力を入れているでもなく、「高校は出ておいてほしい」という親と「高校ぐらいは出ておかないと」という生徒の思いの受け皿となっているその学校では、事なかれ主義の教師達と、教師の対する尊敬を失い身勝手な行動を取る生徒と、学校や教師に対してクレームをつけることで自らのストレスを発散しようとする保護者とで、なんとも閉塞感に覆われた状態になっているという。
その学校が特殊な状況であるということもあるだろうし、それらの教師、保護者、生徒も全体から言えば一部に過ぎないのではあろうが、それでもいつ頃からか学校と言う場の風景がかつてのそれとは確実に変わってきている印象は拭えない。
いつ頃からか、ニュースで定期的に目にするようになったのが、どこかの学校の教師の不祥事。体罰、盗撮、セクハラ、わいせつ犯罪、いじめを見て見ぬふりなど挙げればキリが無い。
それがテレビの向こうの遠い世界での出来事ではなく、自らが生活を営む場所のすぐ隣で起きていること。想像するに、このような事件や事象はかつてもあったの違いないが、それが今の世の中の様にすぐにネットやニュースで一般の人の目に届きやすい環境が無かった為ということもあるだろう。
しかし、それ以上に本書で指摘されるような学校内での「評価主義」や「成果主義」により、教師が生徒から乖離してしまうこと、また「教員」という職業に対しての保護者や生徒が絶対的な尊敬と信頼を失い、下手をすれば「自分の方が優れている」と対抗意識を燃やしてしまう。そして裏サイトの様に、本来ならば自らを反省して行動を変えるべきところを、肥大化したエゴを抑えることができず匿名のネット環境にてその憂さを晴らす生徒たち。
これらのことはすべてネットが登場し、一般化していく過程に沿って広がったかのように見える。ネットの普及によって、今まで知りえることの無かった知識や情報に手が届き、同時に今まで自分の中に隠しこんでいた欲望が顕在化されたことも大きいであろう。
同時に、本来なら教師と生徒、教師と保護者、学校と家庭というある種の信頼関係と尊敬によって成り立っていた関係が、ネットを探せばそれこそ数多もの悪い情報が見つかり、自分の鬱憤を晴らすこと、そしてその方法が目に留まり、本来なら留まっていたはずの心が「ふっ」と背中を押されてしまう。「あ、他にもやっている人がいるんだ」から、「ほら見ろ、やっぱり自分が正しいじゃないか」となるには時間はかからない。
教師側も、保護者側も、学校も生徒も、皆身勝手な考えと行動が少しづつ助長され、いつからか自分のプライドを守るために相手を傷つけて関係性を壊しても問題ないというところまで到着してしまう。始めは一点だった綻びも押し寄せる水圧に屈する様に、いつの間にか当たり前の風景になってしまう。
その場での自分のプライドを守るという短期的な満足感よりも、人生という長期的なスパンでどんな人間として成長し、どの様に周囲と関係性を構築していくのか、その重要性を学校と家庭で共有して子供に教えていく、そんなことが必要なのであろうと改めて思わずにいられない。
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■目次
序章 病める教師―教育の現場から
①「心の病」と教師
/壊れる教師
/「聖職者」は死んだのか
/東京都教育委員会による”いい加減のすすめ”
/確実に広がっている”教師格差”
②教師が病んでしまう理由
/押し付けられる「枠の中の教育」「型の教育」
/教師を教師でなくする「評価主義」「成果主義」
/教師間のいじめ
/現場を”無視”した教育課程と教育論議
/「過労死」も危ぶまれる劣悪な労働環境
/教師は悲鳴を上げている
/一日の残業が7時間42分
第一章 教師力は落ちたのか
①「問題教師」はどこにでもいる
/生徒におびえる教師
/「わいせつ教師」も身近な問題
/自覚なき無責任
②「学校の常識」は非常識か
/「敬語を使えない」教師
/「身内に敬語」外部の人に隠語の使用
/互いに「先生」と呼び合う不自然な習慣
/当たり前の「気遣い」ができない
/本を読まず、言葉を知らない教師
/教師に「人間力」を
③ダメ教師の現実
/「生活科」「総合学習」に戸惑う教師
/失われた「板書」と、頼られる「マニュアル」
/流行で方向転換する「指導方針」
/「塾講師」に教え方を学ぶ教師
/子供を叱れない教師と「体罰の基準」
/「教師」を名乗れない教師
/絶対的存在ではなくなった
④教師格差拡大
/学校現場と「2007年問題」
/教員採用試験の競争率低下の意味
第二章 「逆風」にさらされる教師
①教師と親の終わりなき闘い
/教師は「聖職」ではなくなった!?
/「困った親」の困った要求
/”ダブルモンスター化”する親
/「給食費」を払わない親が激増!
/教師をバカにする親
②時間との闘い!教育委員会との闘い!
/「セブンイレブン」と呼ばれる教頭職
/”調査漬け”にされる教師
/”いじめ隠し”報道が生み出す悲劇
/教育委員会は学校の見方か、敵か
/授業意外にも教師たちには仕事が一杯
/教師の人間関係を壊す「評価システム」
/学校の「組織改革」が教師と子供に与える影響
/現場教師の「切実な声」
/それでも、教師はやめられない
③子供を教師から奪う改正教育基本法
/教師は”法令執行人”か
/求められるのは、子供の”調教力”か
/”新たな足枷”はもういらない
第三章 教師の条件
①教師と言う仕事
/「学校教師」と「塾講師」の違い
/「校務分掌」の大きな役割
/見直すべき「学校力」
②教師像の現実と理想
/「いじめ自殺」と教師の姿
/教師がいじめを招く
/親たちが教師に期待すること
/好きな先生の条件
/緊張感あふれる関係
/「同僚性」「共同性」崩す、目標管理型評価
/「企業ごっこ」の学校現場
/”現場離れ”の不任期評価システム
/学校現場は「教師の大学院」
③何が教師に求められているのか
/理想の教師像
/子供の目線
/こんな先生が好きだった!
/こんな先生は嫌いだ
/子供が認定する「不適切教員」
/今、学校と教師の役割を捉えなおす時
第四章 「教育再生論議」に見る、教師の未来
①動き始めてしまった!教育再生会議
/誕生と共に見えてきた、教育再生会議の方向性
/教育再生会議が示す「提言」と「緊急対応法」
/世論とのギャップ?
/教育再生会議の方向性
②「教員免許更新制」の問題点
/早急に必要な「問題教師の排除」
/教員免許の更新性への疑問
/「問題教師」=「指導力不足教師」とはならない
/莫大な税金投入への「見返り」とは
③「いじめ問題」への処方箋
/教師同士がいじめ解決の相談をしない理由
/成果主義は「教育現場の財産」を奪う
/いじめの「第三次ピーク期」
/いじめの「隠蔽体質」を育てた元凶
/「いじめ問題への緊急提言」とは
/教育再生会議の「緊急提言」に対する筆者の緊急提言
/国家レベルの会議から説教、注文
/後退する「国民の教育権」
④「学級崩壊」「ゆとり教育」への誤解を解く鍵
/教職員団体と”同僚性”の相関関係
/「学級崩壊」を防ぐために必要な”同僚性”
/「授業時数アップ」に関する誤解
/「子供抜き」で語られてきた教育論
/教育現場の「絶望的状況」を救うもの
第五章 「教育再生」への提言
①ビジョンが見えない「教育改革」の扉
/教育再生に「対症療法」はない
/「失われたビジョン」を求めて
/国よりも明確な「親の子育てビジョン」
/「競争」ではなく”共創”を
/現場教師による「子供の学寮」の受け止め方
/作られた?「親たちの不安」
/「学力向上」という大目的
②現実に押し寄せる「教育格差」
/「家の経済状態」と「学力」の関係
/”上流層”の教育観
/「習熟度別学習」の問題点
/習熟度別学習は「差別」と「指導力低下」をもたらすか
/「学校選択制」への疑問
③「教育再生」は必ずできる
/「教育改革」に求められるものは
/教員志望者がいなくなる?
/「現場のパワー」を活かす条件整備を
/国と教育と予算の関係
/教育は「商品」ではない
おわりに
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