2013年7月6日土曜日

刹那的な負の連鎖


地方都市にてある私立学校の教員をしている友人から聞いた話によると、授業態度についてある生徒(中学一年生)に授業後注意をしたところ、その内容がまったく変わってその生徒の両親に伝わり、「言葉の暴力」だということで、学校に謝罪を求めに怒鳴り込んできて、今は校長と共に裁判沙汰になるかならないかの状況下、謝罪に追われているという。

恐らく現在の日本全国で頻繁に起こっているようなことであろうが、ふと思う。

「これは一体誰が得をしているのだろうか?」

何かが起こる時は、必ず理由があり、理由は必ず誰かの意図が隠されているはずである。

生徒のことを思い、その子の将来を思い、厳しい言葉をかける教員。そのはずが、言っても無いことにすり変えられ、言われも無い謝罪を求められる結果に。こんなことが続けば、誰も損なことをしてまで、言っても無いことで非難される危険を冒してまで、教育に想いを費やそうとは思わないだろう。

その結果、割り切った関係のドライな教育現場になり、子供達はやりたい放題。誰もまともに生きることを教えてこないので、刹那的な時間の使い方しかできないどうしようもない大人へとなり、同じような子供の再生産。まさに負の連鎖。

そのような子供を抱える両親はきっと日々閉鎖した日常の中で面白い向上心も無く惰性で生きて、自らのエゴを満足させる為に、恥も外聞も無く、不条理に誰かを責めて「自分が偉い」と刹那の欲望を満たして生きる。

子供は子供で、小さな胸の中で悪魔の様に膨らむエゴ。叱られることと怒られることの区別も教えられてこず、自分のことを思って叱ってくれる人に囲まれずに育った付けで、大した価値を持たない自らのプライドを守るが為に、魂を切り売りしてその場の満足を得ようとする。

そして今回の騒動で、ただ一人ほくそ笑むのはその子供。そうして生きることが、後にどんなつけを払わされ、どんな大人になっていくのか分かりもしないで。数年前に起こった関西での監禁、恐喝事件。金の為に人の人格をいとも簡単に壊し、最後は殺してしまう。そんな大人への階段を間違いなく上っているのだろうと思わずにいられない。

こういう状況は社会を、自らが日常を生きる世界を何一つ良くしない。ただただ、自分一人の欲望を満たすだけ。

何をしたいのか?
誰が得をするのか?
何のために?

そんな問いは決して対岸には届かない。それほど近くにいながら、遠い世界になってしまっている。

そんなことを考えながらネットを見ると、売れ出しのアイドルへの誹謗中傷があちこちに飛び交う。これも現れ方は違えど同じ症状に違いない。社会を何一つ良くしない、刹那的な個人の欲望の満足。

そんなことを見ていると、何て無駄な時間なんだと思わずにいられない。それを見ている自分の時間も既に刹那的な負の連鎖に巻き込まれているし、無駄以外の何者でもない。それに思い至り、少しでも早くその連鎖から抜け出すために、そのような負の感情を眺めることをやめることにする。

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